2月15日の花言葉
スイートピー
私を覚えていて・喜び・門出
聖性は、神のご意思を受け入れることです。
聖性は、限られた人たちの特権ではないのです。
聖職者たちだけのものでもありません。
それは、あなたにとっても、わたしにとっても、 まったく同じなのです。
それは、単純な務めといえるでしょう。
あなたが愛することを学ぶならば、 あなたは聖性を学ぶのです。
そして、ほんとうに愛することができるようになるために、 あなたは祈らなくてはなりません。
聖性に向かうということは、 神とわたし自身にかかっているのです。
(マザー・テレサ)
喜びを抱く心はからだを養うが
霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。
(箴言17:22)
霊的盲目についてのメッセージを聞くと、
同じ人生を与えられている人間として、最大の悲しみに思えてなりません。
生きているのは自分の力だと確信している人たちも、死が近づいてくると、そうではなかったことに気づきます。
どんな人も、神がおつくりになられた尊い存在なので、肉を脱ぎ捨てる時にわかるのでしょう。
人生の終わりに気づくのでは寂しい。
若い日に主を覚えて主と共に生きる人生には、
辛いことや苦しみがあっても、苦難とともに逃れの道へ導かれる喜び、平安があります。
誰のせいでもない。
誰のせいにする思いも抱かない。
言い訳も何もしなくて良い、
神に知られていること、覚えられていること、一緒にいてくださっていること、
自分ではわからなくても、事実が与えられています。
箴言には沈んでいると骨まで枯れると書かれています。
霊的祝福は御霊の実のなかにいることです。
そして、いつも喜んで、すべてを感謝して生きること。
信頼できる唯一の方に委ねて歩む人生には、自己中心ではない、神中心の平安があります。
神さまがご計画を持って一人ひとりをつくられている。
それは、愛を表すためです。
与えられている恵みに感謝して今日も明るく元気でのびのびと生きていきましょう。
NameJesus,Amen.