けれど世界中の貧しい人々に代わって、この名誉ある賞をいただきます。
私のための受賞晩餐会はいりません。
どうぞ、そのお金を貧しい人々のためにお使い下さい。」
マザー・テレサ
今日はマザー・テレサの昇天記念日です。
(1910.8.26~1997.9.5)
87歳で天に還られました。
世界中の人々が最も多く泣いた日。
本当に尊敬する人に値する女性です。
数年前に「マザーのことばをブログに書きなさい」と声を聴きました。
当時のYahooBlogに、御言葉と花言葉で日記を書いていた中でマザーの言葉を添えて書き始めました。
まだ愛猫Rubyが生きていた頃、
Rubyのブログにも同じように書いてきました。
不思議なつながりのご縁をいただいた方も多々ありました。
大阪集会礼拝にも時々いらして一緒に賛美を捧げています。
集会が天と地をつなぐ教会にされている不思議に
畏れを持って主に感謝しています。
今日はいつもの祈りにマザーへの感謝の祈りをお捧げしました。
マザーの人生を振り返ってみたいと思います。
マザーは、1910年8/26
マケドニア・スコピエ(旧 ユーゴスラビア)に生誕。
名前は、アグネス・ゴンジャ
裕福な家庭で育ちました。
9歳の時に商人だった父を天に送られています。
イエズス会の神父がつくられた「聖母マリアの信心会」に影響を受けて、ベンガルで宣教活動をされました。
1929年5/23、19歳の時、テレサという修道名に改名。
1931年5/24、21歳の時、清貧・貞潔・従順の初誓願。
聖マリア高等学校で地理を教えられ、校長にも就任。
インドで創立された修道会「聖アンナの娘修道会」の指導をしながら終生誓願。
1946年9月10日、黙想会に出席するためにダージリンに向かう汽車の中で、
「貧しい人々とともにいるキリストに尽くしなさい」という神の声を聴かれました。
コルカタのスラムで働く決意をされました。
修道会を離れてスラム街で働くために、3ヶ月間、聖家族病院にて集中訓練で看護の勉強もされました。
1949年、教え子のシスター・アグネスが最初の協力者として与えられました。
1950年、国籍をインドに移されました。
1952年.42歳、死を待つ人の家を設立。
ヒンズー語で「ニルマル・ヒルダイ」(清い心の家)の意味。
1959年49歳の時、ハンセン病診療所開設。
1990年9月心臓病で入院、ペースメーカーを埋め込んで働かれていました。
1991年12月、肺炎を患って入院、手術。
2週間ほどで翌年に退院。
世界中で数々の賞を受けられ、ノーベル平和賞も受けられました。
1997年9/5、胸の痛みを訴えられ、夜に昇天されました。
2003年10/19にカトリックで福者、
2016年に聖人に列福されました。
カトリックでは死後に奇跡が2つ以上起きたら聖人にされる規約があるようです。
1941年4/22初来日されて、その年に東京に修道院を開設。
来日の際、東京の山谷、大阪の西成のあいりん地区を訪問。
その際に、大阪の浮浪者の姿に心を痛められたことが語られています。
1989年に、神の愛の宣教者会の修道院は、インドに159、海外に230と記録があります。
2007年9月、145となっています。
(カトリックサイト。各新聞社などの資料よりまとめてみました。)
すべての人の中にキリストを見て生きる。
誰にでもできることではありません。
マザーの言葉をここに書きながら、わたしも多くのことを教えられてきました。
マザーが遺して下さった言葉は、どんな人の言葉よりも優しく、慈愛に満ちています。
聖霊によって語られていた言葉だと思います。
これからも、天の賛美をしながら一緒に礼拝を続けていけますように。
NameJesus,Amen.
”神を信じなさい。
(マルコ11:22)”
イエス様は神を信じている人たちにいわれました。
マザーもクリスチャンには厳しい言葉を遺されていますが、
神への絶対の信仰をすべての人に願われて、祈られていたのだと思います。
神にはなんでもできないことはありません。
祈った祈りは聞かれています。
だから、疑わず、ただ信じ、祈り続けていきましょう。
マザーも、弱いわたしたちのために、とりなしの祈りをしてくださっていると信じます。
9月5日の花言葉
オミナエシ
美人・はかない恋・親切
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