台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

338 引きこもりを考える。A君の場合。1

2013-04-13 04:44:09 | 台湾
 少し難しい、テーマ。はっきり言って、これは、実践報告のように、なります。自慢ではありません。私の勤めだ学校にAくんが居ました。
彼は、一年の合唱大会を機に・・・。不登校に突然成りました。私は、学年主任でしたから、担任と一緒にA君の家へ。
母親と父親に会い、本人とは、逢えませんでした。けど、これは、長くなることを感じ取りました。その家で、元気なのは、五歳ぐらいの女の子だけ。特に、お母さんも・・・、すこし「うつ」的。お父さんは、今、失業していて・・・。親父としての、誇り、゜プライドを失っている。こりゃ大変。Aは、もともと、真面目な性格。そこそこテストも出来、目立たない性格。その日は、そこまで、・・・。
 その後は、私一人で、A君の家へ。もちろん、Aくん共話せるようになりました。大体一週間に一回ぐらい。かれが当時はやっていた「マトリックス」の話なら、夢中になって話すことが出来る、ところが「このマトリックス」私には、ちんぷんかんぷん。だって、消えたり、現れたり、変身したり・・・。全然わかりません。わからないから、とりあえず、彼にしゃべりさせました。もちろん、学校の話は、一切しません。学校に来いと言わなくても、彼の一番痛い処を突いても、中々直せません。そんなに簡単に登校拒否が直るなら、日本国中の登校拒否問題は、解決しています。
 それが一年目、二年目は、彼の髪の毛は、のび放題。風呂もそんなに入らなくなっているようでした。三年目。いよいよ、卒業の歳。
私は、その学年から外れ、障害児の担任。もうAとは、関わる理由が無くなりました。そして、何よりいけないのが、Aの担任Bが私を嫌いと来ている。だから、私は、卒業するまでは、極力行かないようにしていました。卒業生を送る会だけ、彼に来てみないかと誘いました。そしたら。彼が皆の演奏をみたいと良い・・・。私なりに、担任Bの了解を得て、学校へ連れてきました。久しぶりに彼の笑顔を見ました。
もちろん、他の生徒にわからない暗がりから・・・。かれは、卒業式は、出られず・・・。その学校を卒業していきました。
けど、私は、三ヶ月に一回ぐらい、彼の家へ家庭訪問して・・・。もちろん、ただ、彼の顔を見るだけ。特別話は、しません。
お互い、ただ顔を見て・・・。少し、照れのような笑顔。だって、もう家庭訪問の義務は、ありません。かれは、高等学校へは、言っていないのですから・・・。
 そんな彼から、3月ある日私の家に電話がありました。「先生、おれは働きたいだけど・・・。」「そうか、じゃ、今から、お前の家へ行くから・・・。待っていろ。」どうした心境の変化。私には、彼に何が起きたのか、わかりません。去年暮れに行ったときは、全然前と同じだったのに・・・。彼の家いくと、お母さんが入院されて、おばさんが家にいました。かれは、今、妹とふたり、おばさんの家で生活しているとのこと。彼の話は、とにかく、お金が欲しい。だから、アルバイト・仕事がしたい。お前何が出来る、コンビニ、花や、全部無理。じゃあ何が出来る。良しわかった。「二日間だけ我が家で雇おう。一日五千円。仕事は、穴掘り。明日、八時に来るから、終わりは、四時半。いいか。」
はい。わかりました。
 翌日。彼は、一応眠そうですが、起きて私を待っていました。ここまでは、合格。
その先は、次回へ。                  再見。


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