登校拒否も色々なタイプなあり、原因の様々。
今登校拒否している人には、何が原因か、はっきりわかって居る人と、そうでない人も・・いろいろいます。そして、わかって居る場合、その原因を除去すれば、解決するとどうかは、わかりません。
原因が無い場合は、対応が難しい。一つだけ、生活のリズムを崩さないように注意する。昼と夜が逆転すると、日常の感覚がおかしくなり、どうしていいのか、全くわからなくなります。登校拒否のタイプは、色々居ました。東京の病院に入院させたこともありました。 原因不明で、中三で学校に来られなくなり、毎日、かくれんぼしていました。
友達も少しは、いましたが・・・。三ヶ月入院。それから、病院、学校の往復。とても大変でした。東京の病院から、さいたま市の学校まで・・・。それが出来る様に成ったら、学校、家、病院の三角形を二ヶ月ぐらい。
どうにか、彼は、その作業を真面目ににやりきりました。
真面目さが特徴。登校拒否の子は、真面目。物事を多面的に見ることは、苦手。
そのこの場合、3箇所に居場所をつくることで、序序に自分を取り戻し、その後高校・大学と順調にいったようです。
他のタイプは、良くわからない。本当に何故この子が登校拒否するのか?
ただ、御両親にあったとき、納得がいきました。この親、病気を直感しました。
親の中にも「鬱」の人は、居ます。お父さんも同様。
これじゃ、大変。この子は、立ち直れないと思いました。この子が立ち直るきっかけは、 親が入院して、親戚の家で、生活して初めて・・・。私に電話をくれました。
卒業して、2年。中学2年の合唱大会の翌日から、登校拒否に。私は、学年主任でしたが・・、担任代わりに、たまに家庭訪問をしていました。三年の時は、その学年を外れましたから、本当にたまに、行くだけ。学年を外れると、勝手に家庭訪問すると、怒り出す担任も居ますから。難しい。ただ、卒業だけは、しましたが、卒業後も、家庭訪問していました。かれと、話すのは、「マトリックス」という映画の話だけ。私のマトリックスの映画は、全く意味わかりません。けど、彼は、この映画の話になると、口が軽くなるようでした。
電話の内容は、「お金が欲しいから仕事を紹介して欲しい。」
とりあえず、会いに行きました。髪の毛も切り、さっぱりしていました。彼の何の憑き物が落ちたような感じです。四年間。とぐろを巻いた生活。そして、その彼が働きたい。
コンビニ、花や、色々言うが無理との返事。今「お前何ができるのだ?」
「身体が丈夫。とにかく、お金が欲しい。」この一点張り。
わかった。我が家の畑仕事。二日間だけ雇う。二日間で一万円。
いいか。あさ、九時~四時位まで。
ま。朝迎えに行くと、一応準備していました。そして、仕事。
もう午前中でほぼダウン。午後は、1時間だけ。そりゃそうだ。四年間も太陽二当たって居ない人間が太陽の下で肉体労働。
これ以上無理だと思い、家に送り帰すしました。そして、別れ際、かれは、私に手を出すのです。何というと、お金と。だって、明日も働く約束。ま。どういう事情かわからないが、お金が欲しいのだろう。私は、一万円を彼に渡しました。
それから、かれが学校に行きたいと言い始め、それからは、順調に回復していきました。
現在何をしているか、わかりませんが、台湾に居る間、何回我が家に来たようです。
こんな事は、珍しいことです。私のしたことは、「待っていただけ」それだけ。
再見。
今登校拒否している人には、何が原因か、はっきりわかって居る人と、そうでない人も・・いろいろいます。そして、わかって居る場合、その原因を除去すれば、解決するとどうかは、わかりません。
原因が無い場合は、対応が難しい。一つだけ、生活のリズムを崩さないように注意する。昼と夜が逆転すると、日常の感覚がおかしくなり、どうしていいのか、全くわからなくなります。登校拒否のタイプは、色々居ました。東京の病院に入院させたこともありました。 原因不明で、中三で学校に来られなくなり、毎日、かくれんぼしていました。
友達も少しは、いましたが・・・。三ヶ月入院。それから、病院、学校の往復。とても大変でした。東京の病院から、さいたま市の学校まで・・・。それが出来る様に成ったら、学校、家、病院の三角形を二ヶ月ぐらい。
どうにか、彼は、その作業を真面目ににやりきりました。
真面目さが特徴。登校拒否の子は、真面目。物事を多面的に見ることは、苦手。
そのこの場合、3箇所に居場所をつくることで、序序に自分を取り戻し、その後高校・大学と順調にいったようです。
他のタイプは、良くわからない。本当に何故この子が登校拒否するのか?
ただ、御両親にあったとき、納得がいきました。この親、病気を直感しました。
親の中にも「鬱」の人は、居ます。お父さんも同様。
これじゃ、大変。この子は、立ち直れないと思いました。この子が立ち直るきっかけは、 親が入院して、親戚の家で、生活して初めて・・・。私に電話をくれました。
卒業して、2年。中学2年の合唱大会の翌日から、登校拒否に。私は、学年主任でしたが・・、担任代わりに、たまに家庭訪問をしていました。三年の時は、その学年を外れましたから、本当にたまに、行くだけ。学年を外れると、勝手に家庭訪問すると、怒り出す担任も居ますから。難しい。ただ、卒業だけは、しましたが、卒業後も、家庭訪問していました。かれと、話すのは、「マトリックス」という映画の話だけ。私のマトリックスの映画は、全く意味わかりません。けど、彼は、この映画の話になると、口が軽くなるようでした。
電話の内容は、「お金が欲しいから仕事を紹介して欲しい。」
とりあえず、会いに行きました。髪の毛も切り、さっぱりしていました。彼の何の憑き物が落ちたような感じです。四年間。とぐろを巻いた生活。そして、その彼が働きたい。
コンビニ、花や、色々言うが無理との返事。今「お前何ができるのだ?」
「身体が丈夫。とにかく、お金が欲しい。」この一点張り。
わかった。我が家の畑仕事。二日間だけ雇う。二日間で一万円。
いいか。あさ、九時~四時位まで。
ま。朝迎えに行くと、一応準備していました。そして、仕事。
もう午前中でほぼダウン。午後は、1時間だけ。そりゃそうだ。四年間も太陽二当たって居ない人間が太陽の下で肉体労働。
これ以上無理だと思い、家に送り帰すしました。そして、別れ際、かれは、私に手を出すのです。何というと、お金と。だって、明日も働く約束。ま。どういう事情かわからないが、お金が欲しいのだろう。私は、一万円を彼に渡しました。
それから、かれが学校に行きたいと言い始め、それからは、順調に回復していきました。
現在何をしているか、わかりませんが、台湾に居る間、何回我が家に来たようです。
こんな事は、珍しいことです。私のしたことは、「待っていただけ」それだけ。
再見。
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