朝はミルク色した空も
午後には ブルーの色も加わって
午前中は ベランダから まっすぐにいる桜しか目がいかなかったけれど
お寺の屋根の向こうに
背の高い枝先 桜色に染まってきて
部屋から桜眺めながら
耳の傷口の処置して
自分の不注意で 顎を何針も縫うことになったりもしたけれど
悪いものを出すために メスとハサミで切った傷口
その瞬間は 麻酔で痛みは感じなかったけれど
二人の先生の会話と音は耳に記憶されて
シャンプーしながら 傷口も キレイにして
三面鏡の鏡越しに見る傷口
痛々しいけれど
夜みるのと
雨の日にみるのと
桜ながめてみるのと
気分は違って
昨日も 麻酔のあとに観た桜
ただただキレイって眺めたんじゃなく
ちょっと前の心地よくない気分を
桜色で晴らしたり
不意打ちの病
梅雨時じゃなく 桜の時期で よかったと思うことにして
つい最近も 大きな手術をしたひと
自分が数日間寝たきり状態になって
初めて もういなくなった家族の気持がわかったって
いうひとがいたけれど
現実の傷口も
傷んだココロの傷も 癒すのは自分しだい
家族でさえ
そばにいるひとでさえ
見えない人間のココロ
ひとそれぞれ 痛みは ひとつひとつ 違うから
遠くから 同じ思いだよっていうのもいいけれど
そばに行って 話を聴いてあげる
傷んだココロは ほぐすことが一番いいのかなぁ
って
メール交換も途絶えたひとから
自分の用事の枕詞に 耳の具合どう?
そんな短い文章に どう返信していいのか
痛みを持ってるひとには
ココロがない表向きの心配は 必要ないかなぁ
萎れたココロ いつ元のようになる?
って訊いた数年前の自分もいたけれど
そんなとき
元には戻らないって すごい冷たい答が返ってきた
元には戻すことはできないけれど
前に動かすサポートはしてあげられるって
そんなセンセイのサポートがあっての今だから
ココロが萎れる一歩前に 自分で予防対策
発想の転換ができるようになって
道端に咲くタンポポは雨が降らなくても元気に咲いているけれど
我が家の鉢植えのタンポポ
お花の管理人に似て ときどき萎れたり
原因は 耳のことにおおわらわだったりして お水を上げるの忘れたり
それでも お花開く準備してくれて
一番乗りで咲いたお花は くるっと捻りを効かせて 綿毛の準備へ