午後になったらミルク色の空から薄っすら光りの気持ち届いたり
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43年前の堯之さんとJulieの対談のつづき
PYGのことを語る堯之さん
<井上>
あれはやっぱり一つの時代として
決して忘れれられるもんじゃないね。
俺なんか『花・太陽・雨』って曲をやって、
テレビ局のディレクターなんかよく言われたものね
「お前、沢田が歌うんだぞ」
「アホ、もっとわかりやすいことやんなきゃいけない」
って言うわけよ、
俺たちにとってあの時期は
正直になることしか方法がなかったわけよね。
お客さんに対しても、
PYGっていうのをやれるかどうかなって計算ができないわけよ
沢田をどうするとか、ショーケンをどうするとか、
俺はそういうリーダーじゃないんだから。
だって一緒になったときから、
研二はスターだと思っているから。
その時は俺は俺なりに思想があったし、
ショーケンはショーケンなりに、各自がね。
そうなるとお客さんにヤバイよ、
自分たちばっかりよけりゃいいんだから(笑)
非常に主観的なグループで。
あのグループは失敗だと思っていないし、
成功じゃなかったけど。
やはりあの時代には必要だったし、あれがないと
今日の路線とか決まってなかったろうし。
あれはやっぱり一つの宿命だったんじゃないかな。
PYGっていうのは、俺にとって
生涯に三つのチャンスがあるっていわれているけど、
一番節になる二つ目のチャンスじゃないかな。