<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その7
[歌を歌うことを生業に]
自分はなにが好きなんだろう?なにをするのが好きなんだろう?
いまさらつぶしはきかない
歌を歌うことを生業にしないといけない
どこへ行っても、地方へ行っても、歌を一生懸命歌う
自分のヒット曲を大事に大事に歌っていこう
大都会でも地方でも同じ出し物で
ヒット曲とアルバム曲、そして常に新しい曲を歌って自分の持ち味を探していた
そういうことをコツコツコツコツやっていたころ
世の中から少しずつ忘れられる時期になった
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その8
[還暦のときに2大ドーム]
もうちょっとで還暦のとき、その頃からボクは
うっかりものから、ちょっとしっかりものになって
先々のことまで考えるようになり
思い切ったことをしようと
今までは大きな会場ではやらなかったのに
本来なら甲子園球場
甲子園球場は、騒音の関係で使用できないため大阪ドームにした
あとは東京ドーム
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その9
[60歳なのに80曲歌った!]
80曲ヒット曲があるわけではない
僕より先に還暦を迎えた歌い手がオールナイトで60曲、歌った!
人の真似はできないので
それでボクは80曲歌うことにした
ほんとは88曲歌うはずだったが
終わるまでの時間を計ったらその日のうちに撤収ができない
その頃、ボクの事務所は火の車だったので
倍の料金を取られることを避けるために80曲にした!
借りるのが安い平日にしたら
夜働く人たちは3時から来て、夜には帰っちゃうとか
昼働く人は、夜から来てとか・・・
そんなこんな
Julieのために仕事を調整して
京セラドームも東京ドームも足を運んだけれど
Julieの還暦コンサートにかけつけたひとは、フアン以外に数万人
一般のひとが、改めてJulieを思い出してくれて
今まで、横目でみていたひとも、還暦のJulieを観なくちゃと、かけつけてくれた