まな板にのってる鮮魚は鰹
鰹の解体ショーが始まって
内臓は 綿のようなふあふあな感触
細かい部分までリアルに作ってあって、あとは役者さんのみせどころ
からくり人形
頭の部分と胴体の二か所の紐をひくと赤子から地蔵にへんしん
演目「四谷階段」で抱いていた赤子が一瞬で地蔵にかわってしまう
歌舞伎の裏方の仕事
照明さんは基礎を専門の学校で学ぶことができて
衣裳さんも基礎を学ぶ学校があって
小道具は専門の学校はないそうで、代々受け継がれてきたそう
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◇2015.12.4付け東京新聞によると
「藤原小道具」が120年間、刀や家財道具などの模造品を
納めていた東京・浅草の土蔵が役目を終えた。
・・・・中略
蔵は関東大震災(1923年)と第二次大戦の空襲禍にも耐えた。
四代目は著書で「亡き名優が用い、いくら金を積んでも二度と
作れぬような小道具がぎっしり詰まったまま残った」と記述。
東京大空襲(1945年3月)では火をくぐりながらも生き残り、
「中は冷え冷えとして全く焼ける前と変わらなかった。
紙一枚燻んでいなかった」と振り返っている。
同年9月1日、東京劇場(銀座)で二代目市川猿之助一座が
戦後初の歌舞伎を上演できたのは蔵にあった小道具が無事
だったことも大きい。
このときの演目「東海道中膝栗毛」にすさんだ人々にせめて
わらってもらおうという歌舞伎人の精いっぱいの「心意気」と
四代目の與兵衛さんは記している。
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小道具から学んだ歌舞伎のよもや話
次回の歌舞伎観劇は拍子木の開始の合図からスタートして
役者さんが手にする小道具も違う角度からみつめてみたくなって