1971年PYGと並行してソロ・リサイタルを開いた沢田研二、パンフレットに寄せられた村井邦彦さんからのメッセージ
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沢田研二―――――村井邦彦
沢田研二は、まれにみるスターである。
彼はライトを浴びたその瞬間、、普段の礼儀正しく、どちらかと言えば口数の少ない、地味な青年が消え、ナルシスのようなみずみずしい神格が生まれる。
沢田研二の歌を下手だと評する批評家先生がいないではない。
しかし私はそうは思わない。
下手な歌手ということを言えば、少なくとも90%の現在活躍中の日本の歌手、50%の現在活躍中の欧米歌手が、下手な歌手に属する。
彼らは歌が下手だけでなく、味も素っ気もないのである。
歌手は音程をピッタリに譜面通りに歌いこなすことだけを要求されているのではない。
声自体は一つのパーソナリティーの主張であり、歌詞の中に自分の姿と普遍的な人間の心を伝えることによって、聞く者に何ものかを感じさせる。
楽器の限界を超えたところで、まさに声は最高の楽器と言われるのである。
沢田君は鋭い感受性と自我の持ち主である。
静かな目と、大理石のように白いマスクの下に、悦びも、怒りも、情感をも隠している。
それらは、隠すことによって、なお一層彼の内に燃えさかる。
彼は何よりも孤独を愛し、人に侵されることを憎む。
他者とのコミュニケーションによって、自分を失うことがない。
私が初めて沢田君とあったのは、もう4、5年も前である。言わゆるタイガースの全盛時代だった。
第一印象として残るのは、華やかさと、自信と、不安の入りまじった魅力的な少年の面影である。
その時代の沢田君と現在の沢田君とは、どこが違っただろう。
確かに歌手として技術的に進歩し、人間的にも、表面には丸みを出し、髪も長くなり、周囲の状況も変わった。
しかし、沢田君の本質は何者にも汚されていない。
それほど、彼は純粋であり、常にあきらかである。
芸能界という世界に住んでいても、私は沢田君が賭け事をするのを見たことがない。
彼は、自分の人生の一瞬一瞬を真剣に賭けているのではないだろうか。
ステージの上では、彼は歌い、語り、動く。
ステージの上では彼は全感情を表出する。
24歳の息吹と、闘争と、透明な神格が、誰を動かさずにおくだろうか。
私は数々のステージに彼と共に立ち、数々のレコーディングを共にして、いつも感動したことを告白する。
今回の日生のステージでも、沢田研二はあらかじめ準備した構成、狙った予想を全てぶち壊して、はるかに素晴らしいステージを創り出していくに違いない。
そして、もし、あなたが真剣に彼を受けとめれば、心を動かさずにはいられないと信じている。
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44年前、日生劇場の客席で
ステージで 歌って 語って 動く
タイガースのヴォーカリストではない PYGのヴォーカリストでもない
歌手 沢田研二を真剣にうけとめていた十代後半の私だったのかもしれない。