演出をされた水田晴康さんからのメッセージ
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ひとりのファン誕生―――――水田晴康
この演出をひきうけた10月半ば、沢田研二なる歌手をもっと知るために(こんなふうに書きだすと、自分の無知さをさらけだしこの有名なるすてきな歌手をしらないなんてとファンの皆さんにしかられそうですが)。
タイガース当時のステージをとったフィルムを見せてもらいました。
驚きました。
その客席の熱狂ぶり舞台の熱演ぶり、僕たちがテレビでみてる彼らの演奏の比ではありません。
見終わったあと、興奮もさめやらぬまま、企画、構成の村井さんなんかとこの熱狂は何だろうと話しあいました。
たとえば、タイガース当時の演奏が、レコードしか表現しなくなったビートルズの抽象的な演奏にくらべ、はるかに直接的であること、すくなくとも実演を主体にして演奏活動を続けてきたつよみをもっている。
それに他の我国のGSの演奏にくらべ、ふんいきにおぼれることなく自分たちの音をもっている。等々。
理由らしきものを指摘するにとどまって、結局は答などないまま終わりました。
そして一週間後、関西の演奏旅行から帰ってきた沢田研二君に六本木で会いました。
そして驚きました。
フィルムでみたエネルギッシュな若者はどこかにきえて、物静かな少し疲労のあとがみえる青年の姿がありました。
しか、いざ、仕事の話になると、彼のよくしゃべること、もちろん自分の考えをもっていること、当然ですが驚きました。
稽古が始まって練習用のテープの演奏ではなかなかステージの流れが沢田君にも僕にもつかめぬ状態が続きました。
たまたま12月4日 新宿はアシベ会館でPYGのステージがあって、生の舞台を見んものと振り付けの村田さんとでかけました。
(ファンの皆さんには本当に驚いてばかりで申し訳ありません)。
いつか見たフィルムの中の彼がそこにいて、しかも歌はもっとうまくなっていました。
言葉一つ一つに彼の感情がにじみでていました。
実に歌を大切にしている歌手、それが見終ったあとの印象でした。
そして気がつきました。
ステージを見てほしいといった彼の真意は稽古の中での歌を自分のものにするまでは先に動きで規制されたくないということだったのでしょう。
演出の仕事は一曲一曲の表現は彼にまかせて、その曲の流れを整理すること、それ以外稽古は実に順調です。
稽古半ばで、彼と話し合ったこと、タイガース時代は舞台上のグループが客席というマスに向かって叫んでいた。
でも今は沢田研二という一人の青年が歌を通して客席の一人一人にかたりかけたい。
そのための今回の今回のリサイタルにしたい。
日生劇場という機構の完備した舞台で、沢田研二の歌う二十数曲のうち、どの一曲かはかならずお客様の一人一人の胸に深くとどけたい。
そのためにも一曲一曲を大切にして誠実に歌いたい。
そして歌を通して沢田研二のすべてを理解していただきたい。
それやこれや僕には驚きながら彼の理解してゆく過程の中で稽古が進行してゆくのはとても楽しい作業です。
初日の幕がおりるとき、僕はかならず沢田研二のファンになっていることは確かなようです。
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44年前の水田晴康さんの言葉に
沢田研二を理解してもらうには やっぱりステージで歌う姿を
生で感じてもらうしかないってことを 再確認したり
12月4日
新宿のアシベ会館(ニューACB)で水田晴康さんと遭遇していた?
私は3回目のステージだったけれど 何回目のステージを見たんだろう
お久しぶりです。
もう決定しましたが明日お返事する予定です。
今のJulieに繋がる日生のリサイタルでした。
本当にずぅっと歌ってくれているJulieに感謝の言葉しかみつからないですね。
Julieも私たちも元気でお互いに現役続行ですね。
12日、あれから20年の月日、あのときも今もちっとも変わらず激戦のようですねタイトルが。お互いに頑張りましょう。