無駄なことはなくって
それが 人生に
ひとつひとつ 重なって
味わいのある人生になって
ステージから
遠い場所を
多く体験すると
いつしか
その逆の風景を
みつめた気分にもなれて
ステージから見える客席の風景
Julieが歌いながら
みつめる風景
ステージから遠い場所じゃないと
その逆バージョンの風景を
感じることはできなくて
数か月前に
Julieから届くライヴの お知らせに
行くわ
って
返事をしなかった地域
何度も行ったことが
あるから
だったけど
加瀬さんの供養のライヴだから
足を運びたくなって
嬉しいことに
かしまし三人の仲間にまぜてもらって
ふたつのライヴ
いろんな体験をして
世間一般のライヴ
光り物やうちわ 大歓迎で
そんなライヴ風景はTVの映像だけでしか
Julieのライヴは
ステージも
客席も
キレイな照明が 大活躍してくれるから
応援のつもりの
うちわや 光り物(ペンライト等)は
必要がなくって
ライヴの進行の妨げになるので
開演前に
携帯の電源オフと光り物類使用禁止のアナウンス
Julieのライヴに必用なものは
ホールの隅々まで響く キレのある大きな拍手
それも
ステージのJulieまで届かないと意味はなくって
ホールが最後列まで
満席でも
ステージのJulieの耳に
拍手が届かなかったら
Julieが熱唱する意味が
なくって
ライヴは
ステージと客席の全体が
同じ気持ち
ひとつになってこそ
ひとつめのライヴ
31列まである客席
床がスロープの場所じゃなく
通路より
後方の段々の場所で
距離的には
ホールの真ん中ぐらい
くまさんジュリーが恋しい位置
Julieから届いた席じゃないから
何度か足を運んで
想定はしていたけれど
やっぱり
かせっちの歌声で
周辺の大きな声のおしゃべりが耳に届いて
かせっちの歌声を妨げて
1曲目は 誰もが知ってる曲だから
2曲目は 知らなそうで
周辺のおしゃべり
いつものように楽しんでいたら
あちこちで
鑑賞法の違いが
声になって
ライヴ中に
私の視界を遮るように
係りのオニイサン登場
係り員に
自分の視界を妨げてるひとたちを
座らせるように
訴えてるひとがいて
Julieが歌ってる最中だから
会話の声は聞こえないけれど
そういう光景まじかに
私の後方からは
見えないから座っての声はしなかったけれど
係り員に座るように言われたのは
かせっちとJulieが一緒にいた
じゅりわん富山ライヴだったっけ
なんて
思いだし
はやくも
私の頭の中に
ちっちゃいちっちゃいかせっち登場
かせっちの供養のライヴだから
嫌な雰囲気にならないように
そのおじさんの意向をくんで
鑑賞方法を切り替えて
向こうのかしまし娘二人も
周辺の雰囲気を察して
着席に切り替えて
あとから訊いたら
背中をとんとんされた仲間も
せっかく
後方周辺のひとたちも
曲に似合う鑑賞法だったのに
きっと
年に一度のJulieを
待ってたの
なんて
ひとたちもいただろうに
しょぼんと
係り員に
自分の意向を伝えたひとの
背中を見つめながら
ステージで歌うJulieを見つめて
前方数列は
後方とは違って
スタンディング続行
そんな前方と
温度差の違う客席で
取り残されたような
一抹の寂しさも
感じて
切なさも感じて
Julieの歴史 もうじき50年
着席鑑賞の時代から
生のステージ鑑賞を
スタートした年代だからこそ
そう感じる?
日本地図のいろんな地域
それぞれの街の
客席の雰囲気を
たっぷり実感したのは
もうずいぶん前だから
どうってことないけれど
渋公の2階席
渋公1階最後列ちょっと前
あの雰囲気を
みっつも
重ねて 体験したあとだから
ずいぶん身に堪えて
客席に
Julieのライヴに不要な
うちわ組もいたけれど
しょぼんと
着席鑑賞に切り替えて
同じくな
気分を 味わったり
曲に似合う鑑賞法に切り替えてたり
同じくな気分で
楽しんでいたから
広い心で受けとめたけれど
世間一般のライヴでOKなのに
なんで
いけないの?
うちわを持っていたら
ステージのJulieまで届く大きな拍手が
できないじゃない?
曲に似合うキレのいい手拍子が
できないじゃない?
って
伝えたかったけれど
Julieには応援のつもりのグッズは不要
Julieのライヴに足を運ぶとき
忘れてはいけない物
キレのある大きな拍手と
曲に見合ったキレのある手拍子
忘れると
ステージのJulieから
忘れ物注意の言葉
ボクの耳に
ちっとも届かないよ
拍手が
目に見えないものを感じ取るのは耳と心
改めて
カタチある応援グッズが不要な理由