日劇ウェスタン・カーニバルの歴史のつづき
---------------
こうして筆を進めていても、
楽しい想い出、感激よりも、当時仕事が終わって、みんなと別れ、
家に帰って一人っきりになると、"これで良いのだろうか?"
と不安がつきまとって
無性に淋しくなったことが思い出されます。
そのときは今みたいに各バンドがオリジナルの曲を持っていなく、
全部外国の曲ばかりだったので、余計に自信がなかったのかもしれません。
その不安や淋しさ<おそらく僕だけじゃなく、みんな同じ気持ちだったと思う>を
助けて、勇気付けてくれたのが
"ウェスタン・カーニバル″を見に来てくれたお客さんやファンの人たちでした。
ただ、それはうれしいんだが、
熱狂のあまり、ステージに飛び上がって来て、抱きついたり、
フィナーレで銀橋に出ると、数人で客席に引き落とされたりで、
折角録画を撮ったのに放映中止になったり、
学校なんかでは"あんな不良の行く処へは絶対行ってはいけない″
というきびしい命令が出たりで、とっても心外でした。
勿論、その頃から各グループ、歌手からヒットソング(オリジナル)が出て来た。
"星はなんでも知っている″
"泣いちっち″
"黒い花びら″
"雨に咲く花″
"上を向いて歩こう″等、
一時はロカビリーから歌謡曲のナンバーが多くなり、
オリジナルを持てなかった歌手が非常に不利になりました。
僕も13回まで出演した後、地方公演が多くなり、
しばらく見てなかったけど・・・・・それでも時々見に行きました。
しかし、あまりのメンバー交替でビックリしたのと同時に、
この世界のきびしさをまざまざと見せつけられたようでした。