昨日、真っ青な空の下、海の近くで
松子さん、みおくりました。
海沿いの道路通って
ちょっと坂をのぼって セミの鳴き声聴きながら 煙突のけむり
ヨットハーバーの近くの高台の海の見える部屋で
苦しむことなく 穏やかな顔で
心筋梗塞でした。
90歳と2ヶ月
しわもなくて つるつる マスカラつけてるみたいに長い睫毛
いまにも起きてきそうねって みんなで
それでもやっぱり冷たい手
ガラスのようなジュリーに似ていたひとはねえちゃんってよんで
75歳になった いまでも やっぱりジュリーに似て
料理も洗濯も得意な憧れの叔父さん
松子さんに育ててもらった11人きょうだいの末っ子
松子さんとそっくりな 叔母さんふたり 86歳と82歳
まだまだ元気で。
海の近くじゃなかったので。。。3月11日は 被害も少なくて
仙台から新幹線で。
松子おばさんってよぶひとも いっぱいいて
40数年ぶりなひともいて
ジイジってよばれるネズミ年なひとはおふくろってよんで
おかあちゃん
おばあちゃん
ばあば
松子さん いろんな呼びかたされて
玄孫は中学生から8ヶ月まで4人
残念ながらいちばんちっちゃな玄孫は肺炎で入院中
松子さん 第二の人生は石巻でスタートして
私が生まれる前の写真の裏には寿町の文字
写真館で記念写真
そして 私が生まれて2年後に
横須賀で新たなスタートして
それからずっと経って
横須賀で 人生の幕をおろして。
松子さんをみおくる前に 車数台連なって
みんなで観音崎灯台まで行って
4歳から86歳まで 灯台を眺めながら
海沿いをてくてくして
真っ青な空と白い雲
海からあがった 日焼けした 中学男子とすれ違ったり
ギラギラのお日様感じながら ヨットの白い帆だったり
しっかりこの日をココロに刻んで
松子さん 七色の橋のたもとで
43年ぶりに 林(りん)ちゃんと再会できたかしら。
新宿にザ・タイガースを観に行って 14日目に 父が逝って
43年後の夏 地元横浜でJulieのトークショーで
ザ・タイガースに対する想いを聴いて
その4日目に 母が逝って
前日にはテレビでザ・タイガースの話題
そして みおくった翌日、
テレビで 沢田研二の映像と ♪勝手にしやがれ♪と♪TOKIO♪が流れて
そして ザ・タイガースの映像と ♪君だけに愛を♪が流れて
Julieが♪勝手にしやがれ♪で賞をとったとき 松子さんも涙して
それから数十年が経って
いろんな記憶がなくなって ネズミ年の息子の名前も忘れた頃
ジュリーの声はしっかり覚えていた松子さんでした。
たくさん 涙をながしたけれど
思い出がたくさんだから
それでも 今日 テレビでJulieの映像や歌で 元気だそうって。
ここのページにコメントくださった皆様
メールくださった皆様
ひとりひとりに お返事できずにすみません。
何も書かない日も たくさん扉を開けていただきありがとうございました。
皆様の気持ち しっかり届きました。
11月の仙台公演、松子さんの想いも一緒に連れていくことになって。
はたして 申込んだチケットは?
人生のいたるところに、ジュリーとの思い出。