ライヴの余韻からずいぶん遠回りしたけれど
ようやく広島国際会議場フェニックスホール(10.29)にたどりついて
つぎのライヴがせまってきたので
後半の時間からさかのぼって
ふたつめのスライドショー終えてから
♪渚でシャララ
スクリーンのパープルシャツと
お世話になった加瀬さんはいつも一緒で、毎回ピンクシャツも観れて嬉しい限り
じゅりわんツアーを思い出しながら踊って
スクリーンが上がったらピースサインは定番になったようで
松江ではMCのとき、顔さえもかくれんぼしたりだったから
あら、こんなだったのねと自分の距離からみつめ
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その1
[50年をふりかえって]
50年、まっすぐに歩いてきたわけではなく
右行ったり左行ったり、後退したり、早く行き過ぎたり
いろんなことをしながら
そして、ブレなかったわけでは決してなくて
いつもいつもブレていた
ブレて悩んで、悩んで考えて
ただ難しいのは、考えても悩んでも
答えはひとつしか選べないというこの残酷な現実
50年元気にやってきたように見えるけれど、そんなこともなかった
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その2
[ザ・タイガース~PYG]
タイガースで早くに売れて
タイガースはずっと永遠に続くだろうと思っていたけれど、僕はバカだった
ひとりぬけひとり加わりもう人が辞めるとなった時
知らない人をいれるのはやめよう、という話になったのは
事後承諾で解散すると教えられたからだと
自分でどうしていいかわからず途方にくれて
渡辺プロの事務所で池田さんの机の前に座って
誰か声をかけてくれないかなあと物欲しそうにしていて
デスクの井上さんに「あら、ジュリーどうしたの?」と聞かれ、それでほっとしたりして
このエピソードは何度か聴いたけれど
具体的に状況説明してくれたので、そのときのJulieの表情を想像したりして
もともとタイガースでやるというときも
メンバーから誘われ、請われてという形で
ワカサマという感じでいた(自慢話ね)
ワカサマ曰く
解散の時も「沢田どうする?」と言われたことがなくて
サリーは「岸部おさみグループ」というのを作ろうとしていたけれどダメになって
サリーからスーパーグループを作ると言われた
ワカサマ、PYGを知らないひとにメンバーの名前をひとりひとりあげて
スーパーグループということは掛け算以上のことになるんですね!と
期待をしていたけれど割り算以下になった
タイガースの4年間は夢のような毎日で
内輪もめしようが、トッポとケンカしようが、何をしようが面白かった