♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

50周年50曲LIVE(38/66)広島国際会議場フェニックスホールの余韻②

2017年11月09日 14時48分20秒 | いい言葉

ライヴの余韻からずいぶん遠回りしたけれど

 

ようやく広島国際会議場フェニックスホール(10.29)にたどりついて

つぎのライヴがせまってきたので

後半の時間からさかのぼって

 

ふたつめのスライドショー終えてから

♪渚でシャララ

スクリーンのパープルシャツと

お世話になった加瀬さんはいつも一緒で、毎回ピンクシャツも観れて嬉しい限り

じゅりわんツアーを思い出しながら踊って

スクリーンが上がったらピースサインは定番になったようで

 

松江ではMCのとき、顔さえもかくれんぼしたりだったから

あら、こんなだったのねと自分の距離からみつめ

 

<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その1

[50年をふりかえって]

 50年、まっすぐに歩いてきたわけではなく
 
右行ったり左行ったり、後退したり、早く行き過ぎたり
 
いろんなことをしながら
 
そして、ブレなかったわけでは決してなくて
 
いつもいつもブレていた

 
ブレて悩んで、悩んで考えて
 
ただ難しいのは、考えても悩んでも
 
答えはひとつしか選べないというこの残酷な現実
 
 50年元気にやってきたように見えるけれど、そんなこともなかった

 

 

<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その2 

[ザ・タイガース~PYG]

タイガースで早くに売れて 
 
タイガースはずっと永遠に続くだろうと思っていたけれど、僕はバカだった
 
 

ひとりぬけひとり加わりもう人が辞めるとなった時

知らない人をいれるのはやめよう、という話になったのは

事後承諾で解散すると教えられたからだと


自分でどうしていいかわからず途方にくれて
 
渡辺プロの事務所で池田さんの机の前に座って
 
誰か声をかけてくれないかなあと物欲しそうにしていて
 
デスクの井上さんに「あら、ジュリーどうしたの?」と聞かれ、それでほっとしたりして

このエピソードは何度か聴いたけれど

具体的に状況説明してくれたので、そのときのJulieの表情を想像したりして
 
 
 
もともとタイガースでやるというときも

メンバーから誘われ、請われてという形で
 
ワカサマという感じでいた(自慢話ね)

 

ワカサマ曰く

解散の時も「沢田どうする?」と言われたことがなくて

サリーは「岸部おさみグループ」というのを作ろうとしていたけれどダメになって
 
サリーからスーパーグループを作ると言われた

ワカサマ、PYGを知らないひとにメンバーの名前をひとりひとりあげて
 
スーパーグループということは掛け算以上のことになるんですね!と

期待をしていたけれど割り算以下になった
 
 
タイガースの4年間は夢のような毎日で

内輪もめしようが、トッポとケンカしようが、何をしようが面白かった

 


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