<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その3
[ソロになってから]
その後は順風満帆ではなく・・・
でも人からしてみたら恵まれていて
ソロになれと言われてソロでやっていたら売れちゃった
星の巡りあわせ
何を言っても自慢話になってしまう、とワカサマ
若気の至りで、調子にのっていろんなことしてしまって
二度三度やってるうちに年月が過ぎ
80年代までは売れていたと思う
90年代前後に、厳しい現実が待ち受けていて
ヒット曲の番組にも出られなくなり
ヒット曲の番組さえもなくなっていく
たった30分の番組で
必ず自分の歌以外の歌を歌わされる大嫌いな番組もあった
自分の歌があるのに人の歌を歌わないといけないのか
国産の歌を!と思っていた
その頃から貴重な存在だったと思う(ワカサマの自慢)
コンサートをやっても
大きな都市でないとお客さんが来なくなってきて
きょうの広島でも
超満員になるということがなくなってきた
(追記)
松江は立ち見のみ発売の文字
当日は満席のフェニックスホールだったけれど立見はなかったってことなのかしらね
いろんな原因があるにしろ
若くして売れて
その鮮度を保つというのは並大抵の人間にできることではない
ボクも普通の人間だった
この「普通の人間」だったということがボクの自慢
還暦のときに「人間ジュリー」宣言していたっけ