足を運んで感じるのが一次元の世界
今朝、一番のメール
昨夜、めいっぱいライヴを楽しんだJulie愛好家から
なんだかなぁの文字ついて
いつも私が感じていることだった
Julieと同じ空間で
Julieと同じ時間を共有することが
楽しいよね
私みたいなページを持っているひとは
今じゃ
たくさんいるけれど
ツイッターやフェイスブックもまぜると
どんだけのひとが
ジュリーの文字綴っているんだろう
よく自分が足を運ばないで
感想を待ってるひとや
それが間違った情報だと事実確認もせず
届いたレポを自分のページに
コピペだけのひともいたり
自分が足を運んで
観たり聴いたり感じたり
それでも 聞違いや記憶違いもあったり
私は
ネットなんてない昭和の40年代から
ライヴの感想は日記に綴っていたけれど
ライヴ鑑賞は自分が楽しむことが一番の目的
ライヴがはねて
そのあとは
同じ空間で いろんな位置で観賞したひとと
ライヴの内容について
話をしながら 食事&乾杯が
二番めの目的
自分の思い出として
このページや あっちのページに綴るのは自分のため
ライヴに足を運ばないひとが
速攻で いち早く
ネットに情報を綴る目的は
自分のページをたくさんのひとに閲覧してほしいから?
足を運ばないで ポチっとしてくれるひとのため?
それが
足を運ばないひとたちにとっては
楽しみな情報であったとしても
ライヴ会場に足を運ぶってことは
チケット代金も発生するし
遠い場所だったら
交通費や宿泊代も発生して
それは生のJulieを感じたいから
そういう費用をかけないで
ただ ポチってするだけで
ライヴ情報が
瞬時に知ることができるのは
便利な世の中で いい時代になったけれど
足を運ぶこともせず
チケット代金も払わず
一次元の世界を感じ取れるはずもなく
そういうひとは
足を運ばないから
Julieが一番大切に思っていることも
知らないのかもね
足を運ばないで
いい思いをするひとがいる分だけ
足を運んで いい気分になったのに
嫌な気分にもなったり
嫌な気分になるページは閲覧しなければいいだけのこと
だけど
50年近くも愛用しているブランドの価値を
あげるのも
さげるのも
ひとりひとりの モラルによって
ブランドの価値を
自ら
さげることのないように
したいなぁと
痛感したライヴ鑑賞の翌日