次の見出し文字は数年前の京都ライヴのMCにも繋がって
10代のころジャズ喫茶などの入り待ち出待ちはしたけれど
後年になって
そのころのことは許すと言ってくれたJulie
京都左京区に「出町柳」って駅名や地名があって
若い女子じゃなくなった
出待ち入り待ちは
「出町柳」だけにしておいてと京都ライヴで
最後のページの見出し文字
「国鉄職員を頭突き」
1975年12月7日
「新幹線暴行事件」
名古屋公演を終えて新幹線で東京へ向かったJulie
東京駅ではJulieを出迎えようと大勢のフアンが待って
興奮するフアンを静止していた国鉄職員が発した言葉
「くだらない奴のために騒いで、うるせえ連中だ」
降車するJulieにも聞こえて
その翌日は新聞をにぎわすことになって
1975年は20代前半
プライベートも多忙になって
Julieはお正月の日劇公演のみ1回だけの鑑賞だから
事件になってしまった現場にはいなかったけれど
20数年前に遠征を始めたころ
公共の場で出会ったら知らん顔して・・・
そんなJulieの言葉は
1975年の苦い体験があるからこそね
一握りのフアンの行動で
あるときは
ツアー中に眠れぬ夜を過ごしたり
あるときは
歌うことをやめてもいい・・・
そんな発言も記憶に鮮明に残っているけれど
そのつどそのつど
ライヴ会場で自分の思いを正直に伝えてきたJulieだけど
歴の浅いひとや一般のひとなどは
Julieの思いを読み解くには難易度高いかしらね
ページの最後の文字
彼の名曲の通り、
「サムライ」のように我が道を歩むジュリー。
彼は今日も「沢田研二」を生きている。