♪6番目のユ・ウ・ウ・ツ
唇についたルージュを拭う仕草が、いつもと違ってずいぶん乱暴な指先だった
第三金曜日のボク、ずいぶん不機嫌そうで
こんな部屋、暖か過ぎて嫌だよって
吐き捨てるように歌ったsafety zone 迫力あってコワイくらい
どこまでものびる歌声「ユ・ウ・ウ・ツだよー」はユ・ウ・ウ・ツの大きさぶんだけだったのね
エンディングもバシっと決まったところで ジュリーーーー
♪愛まで待てない
数列前を横切るJulieの走りが高速、高速
髪がなびくくらい伸びるのはまだまだ
ステージの端っこまで走って走って、どこで?
アプリコとは逆にベーシストが左側で、Julieは右に立っていた?
さぁ、ヘドバンは
第二金曜日のボク、東京でもヘドバン無しよだったから
第三金曜日のボクも、ヘドバンはスルーして、その場で高速ランニング
ダーリンユーは、どっかで交差したんだっけ?
スピードあげて走り過ぎた?人間噴水は、ちょっぴり
♪ROCK'N ROLL MARCH
Julieと同じくに靴を弾ませてHey! Hey! Hey!
エンディングも、気持ちよくのびるのびる歌声で締めて
♪永遠に
エンディングも、のびやかな逞しい歌声で締めて
ジュリーコールで袖に見送って
ふたつめのJulie編集のスライドショー終えて
ブルーのジャケットに着替えて登場のJulieに大歓声
おしゃべりするときは
斜めな感じの金曜日のボクだから
まあるいカーブもキレイなカーブを描いて
2着目のブルーのジャケット、ボタンひとつしか留まらないのかしら?
端っこ観賞が多いから、ほっそりって感じたことがないなぁ
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その1
[50年をふりかえって]
50周年というめでたい年を迎えて、嬉しく思う
順風満帆で来たわけではない
50年もやってると、何の話をしても自慢話になってしまう
[タイガース]
昭和41年に上京してから42年に♪僕のマリーでレコードデヴュー
2枚目の♪シーサイド・バウンドで大ブレイク
あまりにも遠くて18歳になっていたか記憶が曖昧
早くに花開くと、あとあと大変苦労する
トッポが抜け、1年後にはピーが辞めると言いだして
シロー、サリー、タローが話し合い、他人を入れるぐらいなら解散しようとなった
その解散ミーティングにはボクは参加していない
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その2
[PYG]
シローはブレッド&バターと組んで
タローのグループは忘れちゃったみたい(タローとアルファベッツ)
サリーも自分のグループをつくろうとしていたが
うまくいかずスーパーグループをつくるからと
テンプターズから二人、スパイダースから二人
タイガースから二人
サリーから沢田が入ればスーパーグループになるとPYGに誘われて
ちょっと変だなと思いながら、よせていただいたら
全く売れなかった
ショーケンと同じステージに立ち
井上堯之さん、大野克夫さん、音楽的に凄いひとたちと一緒にやったことは
後々のボクの音楽人生、 歌い手人生に重要な一年になった
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その3
[ソロになって]
ショーケンは映画の仕事が多くなり、言われるままソロになった
井上バンドと一緒じゃないと嫌だと、駄々をこねた
ソロ1曲目の♪君をのせては、そんなに売れなかった
2曲目の♪許されない愛が売れて、レコード大賞の歌唱賞4人の中に入り
紅白歌合戦に初出場したりした