と言って、していいことと、いけないことがあると思います。
芝居だから、パロディーだから、大好きな沢田研二さんのギネス記録だから、
と納得させようとしても、
私の心の傷は、治らない。
何年経っても、忘れられない出来事だ!!
別に、身内を亡くしたことでもないし、経った、数分の出来事だけど。
許せないことは許せない!!
一緒に食事をしたこともある。お話をしたこともある。
だけど、忘れられないものは忘れられない。
人は、いいことよりも悪い出来事の方が記憶に残るものだ。
その悪い出来事を忘れさせるほどのいいことがないと、、、その思いは、心の奥く深くに残っている。それを隠して、普段は過ごしていても、消えることなどないのだ。
数年間の遠征で、認めさせるために、いいお席の配布をされた星。私から言わせていただければ、それまでも、いいお席だったでしょう。ギネス記録がらみでなくても、いいお席だったのでしょう。
私は、星さんに良いお席をといった覚えがないのですけど。
金さんとゴミ箱さんには言った覚えがありますけどね。
だから、あげません。
悪い方ではありませんよ。私がこの通信がギネス記録と理解する前の頃、私が話があると言ったら、時間もとってくださった星さんですから、悪い方ではありません。だけど、、、、私は、ピーの本を予約しに行った太郎さんの『ももや』で、手が震えたのは、太郎さんを初めて見たからではありません。違うのよ。星さんを見たからなのです。手の震えは、怖さで震えたの。だめ、あの頃を思い出すと今も手が震える。
カラオケ店で、私が橋さんと一緒に部屋から出る時に、星さんが私を見ながら、お友達に耳打ちをしていたのよ。あの頃はまだ、ギネス記録関係者からは、星さんに何も話が言っていないときでしょうね。
2回目のカラオケ店だったと思います。確か、星さんからのお誘いだったように覚えています。ちがうかもしれませんが。星さんは私の隣。私の手に手を重ねてきたのよ。 この回のカラオケ店での後で、2軒目を誘われ、帰りにCDをいただいたのよね。 後から思うに、この時はすでに、沢田研二関係者から話が行っていたのだろうと推測してました。
私、すごい違和感を抱いていたのよ。ブログであんなに私を叩いていたのに。。恐怖だった。
そして、あの相模ライブ。休憩時に星さんと話したあの相模ライブ。沢田研二さんの元奥様が死去のニュースが流れた日ね。 たしか、相模よ。あの時は、どうだったのかな。。。芝居だったのかな。。確か、同じ列でね。私は第一希望日を落とされての相模だった。私、とても生きた心地でなくて、ステージの沢田研二を見ていても、楽しくもなかったね。