日本四人将棋協会

このブログでは四人将棋のイベントや大会情報を発信して行きます。

四人将棋の歴史

2021年09月14日 | 棋界情報
いつも当協会のブログを閲覧頂きまして、誠にありがとうございます。
本日は四人将棋の歴史について、触れて行きたいと思います。

四人将棋は1993年に島根県平田市(現出雲市)の太田満保市長が考案されたゲームです。
きっかけとしては、職員達と将棋を指しても太田市長が勝ってしまう為、それならば3人がかりならどうだという構想のもとで、出来たゲームになります。

ルールはシングルスとダブルスがあり、シングルスでは2人詰ます事が出来ればその時点でその人が勝利となり、詰まされた人の駒はその位置から自分の駒として動かせるようになります。また、持ち駒も自分の物になります。
一人が一人ずつ詰ました場合は、駒の枚数で競う様になります。談合も可能です。これを家元ルールと呼びます。
ダブルスは対面がペアとなり、両隣のどちらかを詰ませば勝利となります。
連盟や協会の競技ルールは家元ルールではなく、最後の一人になるまで続行し、駒の取り扱い方も異なります。

当時は日本将棋連盟と連携し、
プロ棋士によるテストプレーや売店での四人将棋セットや入門書が販売されていました。
また、ダブルスの全国大会も開催され各大学将棋部が参加しました。


佐藤竜王(当時・現会長)、田中八段(当時)、森内六段(当時)、清水女流王位(当時・現常務理事)によるテストプレー


四人将棋セット


田中八段(当時)・井上六段(当時)による入門書

また、毎日新聞による四人将棋スーパーファミコンが発売されました。


そんな活気があった四人将棋も段々と賑わいをなくしていきました。
それから19年後に当協会の中司会長が四人将棋に出会い、「日本四人将棋連盟」を創設。
2015年には法人化、2017年に超会議にて、将棋のプロ棋士の方々と共演し、再び四人将棋熱が盛り上がろうとしております。


そして現在は精力的に普及活動を行う為、ボードゲームカフェ様や団体様と提携し、リアルやリモートでの四人将棋イベントを開催しております。




四人将棋の認知度が向上し、競技人口が増えた暁には四人将棋にもプロという道が出来ればと思っています。
ただそこまで行くには、やはり地道な活動になるかと考えます。
今後とも協会は積極的に仕掛けて参りますので、皆様のご声援の程宜しくお願い致します。