2017年3月 鹿児島県南九州市頴娃えいにある大通寺(臨済宗)跡の奥にある墓碑をお参りに行ってきました。 私 樋渡(ひわたり)裕道の曽祖父、樋渡(ひわたし)清明(五助)とその弟 樋渡清直の石高は合わせて51.86石で、清明の父「 樋渡次郎左衛門 清賢」は隠岐守おきのかみと称し、家紋が鎧蝶菱よろいちょうびしで平氏の末裔まつえいです。幕末、明治維新の扉を開くべく、薩摩藩士で千葉道場北辰一刀流の達人であった樋渡(ひわたし)清明こと樋渡(ひわたり)八兵衛は清川八郎や山岡鉄太郎(鉄舟)そして伊牟田尚平らと虎尾こびの会を結成しその幹部となる。ハリスの通訳ヒュースケンに天誅てんちゅうを加える。事件後は薩摩藩に戻り樋渡(ひわたし)五助と改名し、幕府からの追及を回避した。西南戦争では西郷軍札ぐんさつに関与し、維新回転の栄誉が表に出ることはなくなった。
弟の樋渡清直は示現流の達人で、兄の樋渡八兵衛(清明)が五助と改名した時点で、兄に代わり家督を継いだ。しかし、28歳のとき、西南の役で囚われ獄死した。このとき、家督は五助の次男が養子となり継ぐこととなった。
資料 清川八郎 小山松勝一郎 著(昭和49年刊) 他
注 頴娃歴史民俗資料館は,平成29年4月1日から一般観覧が廃止されています。事前に許可を取ってからの見学となります。なお、樋渡八兵衛の展示はありません。
2024年1月、8年ぶりに墓掃除に来ました。ジャングルの状態で、宅配便で送っておいたチェンソーで回りを切ってこれからというときに壊れてしまい、残念ながら途中で帰りました。
弟の樋渡清直は示現流の達人で、兄の樋渡八兵衛(清明)が五助と改名した時点で、兄に代わり家督を継いだ。しかし、28歳のとき、西南の役で囚われ獄死した。このとき、家督は五助の次男が養子となり継ぐこととなった。
資料 清川八郎 小山松勝一郎 著(昭和49年刊) 他
注 頴娃歴史民俗資料館は,平成29年4月1日から一般観覧が廃止されています。事前に許可を取ってからの見学となります。なお、樋渡八兵衛の展示はありません。
2024年1月、8年ぶりに墓掃除に来ました。ジャングルの状態で、宅配便で送っておいたチェンソーで回りを切ってこれからというときに壊れてしまい、残念ながら途中で帰りました。