昨日ラジオから流れた重信房子の裁判の記載は、新聞のどこにも載っていない。
さすが、経済新聞だ。
春から観たかった映画”ミルコのひかり”を公開の最後の日に観た。
11月のある日である。(この話はまたの機会に!)
その次の日「実録・連合赤軍」の有料試写会があったので翌日も観た。
(名古屋地区は12月22日から上映だと思う)
その前月、新聞に連載の青木昌彦のブント創設当初の記載を読んで
60年安保を何も知らないことに気付いた。
圧死した榊美智子さんの名前を知っているぐらいだ。
何故、60年安保が70年安保へ変遷していくのかを見たかったからなのだが
映画本編は、正に今のいじめの構造を突きつけているものだった。
特に、永田洋子の遠山への感情は、見たくないものを見せられてる感覚だった。
でも、まさに、いじめの構造なのだろう。
浅間山荘の凄惨な映像や後に明かされる総括や粛清などが
日本での学生運動を皆無にさせたのだろうし、
大規模なデモもないのは、それに対する嫌悪感ではないだろうか。
でも、目をつぶっていても、気持ちは前に進まない。
ある意味では、沸き起こった疑問は深まるばかりで
そんな想いを”「悪魔のささやき」加賀乙彦著”を読んでみたらと
送ってくれた友人がいた。
今、3分の2あたり・・・解明されていく脳の変化は感じられないが
益々、疑問が増えていくようだ。
カップラーメンと放水と大きな砲丸の映像が残るばかりの浅間山荘だが
何年か前「フライデー」か何かの写真週刊誌で
現在の浅間山荘が出てたが
映画のシーンの中に、「裁判になっても私を呼ばないでください」と云う
人質になった山荘の管理人の奥さんがおにぎりを握るシーンがある。
何度も途中で出たくなった衝動を抑えて、観続けた中
ひとつの明かりのように感じたシーンだ。
席を立つ時、前に座っていた男性がノートを取っていたのに気付いた。
・・・・フツフツと沸く疑問に答えが見つかるのは、まだ先だろう。
それに、頭で解かっても、腑に落ちるのにもタイムラグがある。
製作過程でも、「腑に落ちる」に近い感覚に落ち着くまでには、時間が必要だ。
最近の通勤時の読本遍歴↓
「不思議な国のアリス」「秘密の花園」もう一度「不思議な国のアリス」
「鏡の国のアリス」と同時に「悪魔のささやき」
なかなか、笑える遍歴・・・・あと、オノ・ヨーコと司馬遥も途中なのが並んでる・・
もうちょっと、通勤時間があるといいのに! アハ?
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