大鳥居を撮っておけばよかったのだが、、、
熱田の「モリ」のその名の通りの原生林のようで
まさしく、子供だったなら、広大な遊び場に違いない。
すぐ近くに、”宮の渡し”がある。
伊勢への海上路が便利だったのだろう。
渥美半島や知多半島からも海上交通が発達していた。
古来、木曽川は流路を変え、しかも下流は低湿地であったらしい。
名古屋も今より、ずっと、入り江が深く切れ込んで、
遠浅の干潟が続いていた。
東京と同じで埋め立てなのである。
去年の集中豪雨の冠水の状況がうなずけた!で、古地図に興味が沸いた。
年魚市潟(あゆちがた)
万葉集にも詠まれていたが、愛知(あいち)の元であろう。
ぜひ!ホームページも、ご覧ください (^_-)-☆
↓
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます