この写真は、九段坂にある高燈台
今の東京の状態では到底、信じられないが
品川沖からはもちろん、
房総半島からも、明かりが確認出来たと云う。
考えれば、台地の端にあるので
燈台があるのも、さもありなん!
その九段坂は写真として収めなかったけれど
思いの外、急な坂だ。
実はこの坂道について間違った記憶がある。
井伏鱒二の「荻窪風土記」に書かれていたと思い込んでいた。
気になって、本棚にあったので読み返してみた。
記憶違いに驚く事が多い。
でも、冒頭から面白かった!
「関東大震災前は、荻窪まで品川の汽笛が聞こえた」と云う
「関東大震災後も、鳴子坂あたりまでなら聞こえた」と、記載が続く。
その鳴子坂の袂に荷車の後押しの立ちん坊がいたと、
天沼八幡様の小川(灌漑用の千川用水)で大根を洗い
京橋のヤッチャ場に行く・・・と続く。
このすべての部分を九段坂に置き換えて記憶していた。
鳴子坂とは、西新宿の青梅街道に東京医大があるが
その中野坂上方向に成子坂下の交差点がある。
昔の淀橋だ。
中野坂上と鳴子坂に立ちん坊がいたと!
まぁ~そのまま、靖国通り側に進んだ可能性も高いので
京橋に行く荷車の小父さんは、九段坂を降りたのかもしれない。
いや、降りたに違いない気がしてきた。
皇居を迂回するし、京橋だもの。。。
それと、常夜灯、、、
夜半に歩く人達には、常夜灯が頼りだろうから…
今でも残る分かれ道にある常夜灯
なるほど………
何かの拍子に
見付ける疑問符の答え
それは、とりとめもなく、突然やって来る。
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