暑さは変わらないのだが、やはり風が秋らしい。
行ってみたい所に出掛けてみた。
まずは、被覆廠跡に。
東京の総武線の両国駅の改札を降りるとコンコースの床が
明治の終わり頃の地図になっている。
サンダルも映してみた。
まだ、隣の隅田川には鉄橋がなく、
両国駅から千葉方面へと向かう総武線の始発駅だった。
その少し南の両国橋には、路面電車の記載がある地図が、今、手元にある。
まだ、東京駅も完成していない頃で、呉服橋駅と上野駅も継っていない。
中央線も萬世橋駅が起点となっている。
陸軍被覆廠は
調べると、大正8年に赤羽に移転している。
(両国辺りに繊維関係者が多いのは被覆廠が関係しているのかもしれない)
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災当時は、
公園予定地として広大な更地であった。
江戸時代は、「御竹藏」として幕府の材料藏で、後に米藏となる。
本所御藏地と記載があり、隅田川を挟んで、対岸が浅草御藏地とある。
蔵前の由来である。
松前伊豆守の屋敷の傍の入り堀に架った橋~御藏橋跡の立札
現在は横網町公園となり東京都慰霊堂がある。
昭和5年(1930年)震災記念堂として建てられた。
湯島聖堂や築地本願寺を設計した伊東忠太によるものである。
納骨堂
館内の写真が印象的だったので
直後の銀座通り
被覆廠跡に家財と共に避難した人達
この後、火災が3日続き東京市の被害の
半数とも云われる3万8千人の人が亡くなる。
溶けた機械
後に、昭和20年3月10日の東京大空襲でも大火災となり
多くの被害者が共に納骨されている。
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