親父と声を交わした記憶がない。幾度と戦地に召集され、戦後体調を著しく
壊していた。幼い頃の親父の表情は、病気が染みつき、男としてこれからの
人生を何もできず、苦々しく痛感していたと思う。声を耳にした事はないが、
息子に向かい、すまんと心の中で呟いていたに違いない。親父は、浜松の会社に
務めていた。戦争がなければ、両親ともども平穏な暮らしが出来たに違いない。
国立療養所で若き命を亡くした。人間の運命は、社会情勢の現状でどうしようもない
事もある。その時は、将来の事を考える術もないが、その後、世に役に立てる事を
目指したく、考えていた。
壊していた。幼い頃の親父の表情は、病気が染みつき、男としてこれからの
人生を何もできず、苦々しく痛感していたと思う。声を耳にした事はないが、
息子に向かい、すまんと心の中で呟いていたに違いない。親父は、浜松の会社に
務めていた。戦争がなければ、両親ともども平穏な暮らしが出来たに違いない。
国立療養所で若き命を亡くした。人間の運命は、社会情勢の現状でどうしようもない
事もある。その時は、将来の事を考える術もないが、その後、世に役に立てる事を
目指したく、考えていた。