朝から強い雨が降っているのは分かっていましたが午前10時
過ぎにケータイに設定外の聞きなれないメール音が。
それは初めての長崎市からのエリアメールで『○○地区に避難
準備警報が出ました』との内容。
私が住んでいる南部地区ですがもっとずっと向こうの、最南端
の地区の事でした。
こんな事は初めてで、ごく最近取り入れられた防災管理の一環
なのでしょう、多分今日はこの初の緊急一斉メールの話でもち
きりではないかと思います。
案の定タクシーに乗った時の運転手さんとの最初の会話が「防災
メール来ましたか?」でした。
実は今日は大切な方とのお別れの儀式があって、豪雨のさなかに
出かけたのでした。
訃報を聞いたのが昨夜遅く、まだ44歳という若さの失くすには
惜しい女性でした。
彼女との関わりがいつからだったのかはハッキリと思い出せませ
んが私が目を悪くした3年くらい前から全く会うチャンスが無く
て・・・。
若さも手伝って自分の事より他人の事を一生懸命考え行動して
来た人で、その活動の中には『地域猫活動』や観光地である
『長崎の公共トイレを綺麗にする会』、そして国際親善でも
ある大型客船の船客相手の物品販売など・・・多方面に積極的
に関わっていた人でした。
今や私をその船客:外国人相手の楽しい物品販売に誘って下さり
二人で一つのブースをやっていた時がすごく懐かしく思います。
つい最近も大型客船が停泊しているのを見るとターミナルの中
には絶対彼女の姿があるものとばかり思っていました。
前を車で通るたびに元気にふるまう彼女の姿を思い出したり、
私が4月後半から3週間ほど入院していた時もその病院のすぐ
近くに彼女の家があるのを知っていたので窓から見える道を眺
めながらもしかしたら彼女が通るかな?なんて顔を思い出してた
事も。
それが・・・まさかの彼女が病気でもう1年ほど闘病されてい
ただなんて。辛かったでしょう。悔しかったでしょう。
何も知らない私、元気になったらまた一緒にって事もある
かな?なんて思っていた矢先の訃報でした。
若い彼女にとっての私は仲良い友達というのではなく言わば
イベント仲間の一人に過ぎませんがいろいろお世話になった
事に心からお礼と感謝を述べたいです。
そして、あれほどの豪雨だったはずなのになぜか出棺の時には
それが静かな涙雨に変わっていた事は、きっと彼女の人柄の
現れではないだろうか、そう思えもっと寂しい気持ちになった
のは言うまでもありません。
失くして知る存在の大きさ、とでもいうのでしょうか?
私だけでなく集まった多くの皆さんが思っている事だろうと
思います。
そんな素敵な女性が居なくなってとても残念でたまりません。
心からご冥福をお祈りします。
ターミナルの前を通る時しばらくは悲しいでしょうけど出来る
だけ笑顔の貴女を思い出しますからね!
お友達とのお別れって・・・・。
私は30代後半の時に同級生がやはり闘病後に亡くなりました。
当時中学生のお嬢さんが一人いらして、ご主人と3人で
前向きに闘病生活を送っていました。
闘病中、強い筆圧と個性的な文字で書いた「今年の目標」
という内容の手紙を送ってくれましたっけ。
今でも「友達」と呼べるのは彼女だけ。
今夜は彼女のことを偲んでみます。
外は雨になりました。
Kさんのお友達のご冥福をお祈りします。
スミマセン
あらてめまして・・・
お友達のご冥福をお祈りします。
ありがとうございます。
私よりずっと若い人だからこそ残念で悲しさが二倍になったのかも知れません。
そんなに頻繁に会ってた人ではないのですが失くしてこそ知る存在感。
幸いにして彼女の美しい笑顔しか知らないので思い出すのはいつも笑顔。
それで救われます。
華子さんの親友だった方も心の中に大切にしまっておられるのですね。
時々思い出すきっかけがあるといいですよね。
気分を切り替えて前向きに行きましょうね!