…自分とは何か。
時々、「自分の事について説明をして下さい」という事があると正直、何を説明すれば良いのか解からなくなる。
自分自身の事を良く解かっていないから、このような現象が起こると判断しているが…。
「本心を語りなさい」と言われても、恐らく出て来ない。
何が本心かも理解していないから。
自分では一線を引いていないと思っていても、相手からすると一線を引いていると思われる。
「近寄り難い」「『寄るな』というオーラを発している」
それが周りから言われた事。
聞いた時には「そんな事、無い」と否定しても、自分の中ではかなりドライに受け止めている。
何か大きなイベント(受験・就活etc.)があっても当事者意識は無く、かなり第3者的意識でいる。
結局は自分がそのイベントをこなしているにも拘らず。
流されるまま、生きている。
「自分」であるのに「自分」という存在を失くしている。
だから、相手にも「自分」が伝わらない。
…「伝わらない」というよりも、誤解をされながら認識される。
「何が楽しい?」
「何が好き?」
「何がしたい?」
簡単な事のはずなのに、答える事が出来ない。
何かが欠落している。
そんな自分が存在していても良いものなのか?
箍が外れれば、自分はこの世にいないだろうと頭の片隅で常に思う。
……支離滅裂な文章を散在させまして申し訳ありませんでした。
時々、「自分の事について説明をして下さい」という事があると正直、何を説明すれば良いのか解からなくなる。
自分自身の事を良く解かっていないから、このような現象が起こると判断しているが…。
「本心を語りなさい」と言われても、恐らく出て来ない。
何が本心かも理解していないから。
自分では一線を引いていないと思っていても、相手からすると一線を引いていると思われる。
「近寄り難い」「『寄るな』というオーラを発している」
それが周りから言われた事。
聞いた時には「そんな事、無い」と否定しても、自分の中ではかなりドライに受け止めている。
何か大きなイベント(受験・就活etc.)があっても当事者意識は無く、かなり第3者的意識でいる。
結局は自分がそのイベントをこなしているにも拘らず。
流されるまま、生きている。
「自分」であるのに「自分」という存在を失くしている。
だから、相手にも「自分」が伝わらない。
…「伝わらない」というよりも、誤解をされながら認識される。
「何が楽しい?」
「何が好き?」
「何がしたい?」
簡単な事のはずなのに、答える事が出来ない。
何かが欠落している。
そんな自分が存在していても良いものなのか?
箍が外れれば、自分はこの世にいないだろうと頭の片隅で常に思う。
……支離滅裂な文章を散在させまして申し訳ありませんでした。