~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~
第十話
124、それはそれ自身としての実在ではない。
それは目的に対する手段であって、目的そのものではない。
その故にこそわたしは肉の望むもの(複数)と肉のもの(複数)
には終わりが来るが、み霊のもの(複数)存続すると、いうのである。
125、現象我は感覚の幻影である。
しかし真の現象我は聖なるみ霊が日常の行為に
現れた相(すがた)である。
126、わたしが弟子たちの間から引いて始めて、
イエスの現象我という幻影から解放されたわたしは彼らの許へ
行くことができたのである。
~ 感謝・合掌 ~