復活の体
(1コリント15:44)
「自然の命の体が蒔かれて,
霊の体が復活するのです。
自然の命の体があるのですから,
霊の体もあるわけです。」
イエスは復活しました。
また,
私たちも天国に向かえられるとき,
わたしたちの体も復活します。
○
コリントの信徒は,
復活した体は
どのようなものだろうと
疑問に思い,
パウロは,次のように言います。
(1コリント15:35)
「ある人はこう言うでしょう。
『死者は,
どのようにしてよみがえるのか。
どのようなからだで来るのか。』」
それに,パウロは復活のからだは,
「霊の体」だと答えます。
☆彡
(1コリント15:41-44)
「太陽の輝き,月の輝き,
星の輝きがあって,
それぞれ違いますし,
星と星との間の輝きにも
違いがあります。
死者の復活もこれと同じです。
蒔かれるときは朽ちるものでも,
朽ちないものに復活し,
蒔かれるときは卑しいものでも,
輝かしいものに復活し,
蒔かれるときには弱いものでも,
力強いものに復活するのです。
つまり,自然の命の体が蒔かれて,
霊の体が復活するのです。
自然の命の体があるのですから,
霊の体もあるわけです。」
○
(1コリント15:52,53)
「最後のラッパが鳴るとともに,
たちまち,一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると,
死者は復活して朽ちない者とされ,
わたしたちは変えられます。
この朽ちるべきものが
朽ちないものを着,
この死ぬべきものが死なないものを
必ず着ることになります。」
♪ 「球根の中には」
(讃美歌21 575)
1.
球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。
2.
沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓(ひら)く。
その日,その時を ただ神が知る。
3.
いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。
☆彡
(1コリント15:44)
(フランシスコ会訳)
「肉のからだでまかれ,
霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから,
霊のからだもあるわけである。」
2019-10-02