なだめの供え物
(ローマ3:25)
「神は,
キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,
ご自身の義を現わすためです。
というのは,
今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。」
イエス・キリストの死の意味は,
なだめのそなえ物でした。
イエス・キリストが
罪人の贖(あがな)いのためでした。
イエス・キリストが
わたしたちの身代わりとして
苦しむことによって,
わたしたちの罪に対する
神の怒りはなだめられました。
「贖う」とは,
「買い戻す」,「交換する」という意味で,
代価や身代金を払うことによって,
買い戻すことです。
贖いの代価として支払い,
それによって,神は人の罪を赦すのです。
イエス・キリストによっての
なだめの結果として,
神はわたしたちの罪による
罰を免除します。
そして,罪と罰を,
わたしたちに負わせないようにします。
新約聖書には,
「なだめ」について
次のように述べています。
(ヘブル2:17)
「そういうわけで,神のことについて,
あわれみ深い,忠実な大祭司となるため,
主はすべての点で兄弟たちと同じように
ならなければなりませんでした。
それは民の罪のために,
なだめがなされるためなのです。」
(1ヨハネ2:2)
「この方こそ,私たちの罪のための,
・・私たちの罪だけでなく全世界のための,・・
なだめの供え物なのです。」
(1ヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく,
神が私たちを愛し,私たちの罪のために,
なだめの供え物としての御子を
遣わされました。
ここに愛があるのです。」
「新聖歌」には,次の曲があります。
「罪 重荷を除くは」 (新聖歌235)
「罪 重荷を除くは
血の力 主の血は
悪魔の業をこぼつ
奇しき力なり
力ある主イエスの血
受けよ 受けよ
力ある主イエスの血
受けよ 今 受けよ」
聖書では「血」はいのちを表しています。