今日もダメだなぁ。
天井を見つめたままです。
耳元で「お母さん!」と怒鳴ると返事はするのだが(耳が遠くなったらしく怒鳴らないと聞こえない)、全然こっちを見ない。
アルバムまた担いで来たけど、見せても見ないわ。
看護師さんの呼びかけにも応じず、ただ天井を見つめている。
置いといて大丈夫ですよと言われたのでアルバムは置いてくことにする。
昔のアルバムだから重いのですよ
こういう状態だと高村光太郎の『智恵子抄』を思い出すなぁ。
うちの母は名前を智恵子といって、同じなのですよ。
『智恵子抄』の智恵子さんは統合失調症だから状況は全然違うのだけどね。
同じ名前だからか、母は若い頃『智恵子抄』を愛読してたっぽい。
私は『智恵子抄』はあんまり読んでないのでうろ覚え。
安達太良山には本当の空がない、とか
わたし、もうすぐだめになる。とか
そんなにもあなたはレモンを待っていた。あなたのきれいな歯がレモンをがりりと噛んだ。とか
切れ切れの断片しか思い浮かばないのだけど。
「今日もあなたの写真の前に涼しくひかるレモンを置こう」のくだりは泣けますね。
※詩句は不正確。
今日のタイトルは、私が乳児の頃の写真に添えてあった言葉で、多分母が書いたんだと思うけど。
今の母を見てると、本当に何見てるのかなぁと思う。
おそらく何も見てはいないのだろうけど、
せめて楽しい幻想でも見ててくれたらいいなぁ。
母は完全な自立状態からいきなり倒れて意識不明になり、言語障害で全く喋れなくなったので、社会的には突然死に近いと思う。
それまで健康だったので心の備えが全然できてなかった。
あれから4年近く。
私の中で母の存在はゆっくりゆっくり薄れていきました。
そして今、ただ天井を見つめる母の姿に、『もういいんじゃないですか』と言ったお医者さんの言葉を思い出して、そうだよなぁと思うわけです。
写真は高校生の母。これが一番若い。これ以前の写真は空襲で焼けたらしいです。
サイズが証明写真くらいで時代を感じる。
無許可で載せるが怒らないでたも。
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