連日、大災害の影響が報道される中、地震発生から1週間が経ちました。
2011年3月11日、まさにその時、私は岩手県盛岡市にいました。
1週間前の今頃、私は盛岡駅近くの避難所にいました。
これからどうなるんだろ…帰れるのか?とか考えながらも、現時点で出来ることをするしかない状況。
床の上に敷かれたブルーシートの上で、毛布一枚で眠る状況。
時折くる余震。
停電で真っ暗な盛岡市内。
つながらない携帯電話。
情報がほとんど入ってこない状況で不安もありましたが、今考えると、その時はその情報の少なさが避難している人の希望にもなっていたかも知れません。
つまりは、今は色々な災害状況が報道されていることで「大災害」という実感がありますが、その時、その場では情報が少ない為にそこまでの認識がなかったんですね。
確かに今は停電しているし、新幹線も止まっている。
でも、いつかは停電も復旧するだろうし、新幹線も動くのではないか。
と、思っていましたから。
でも、現実は想像を絶する大災害でした。
その規模を有る程度認識したのは、翌日の夕方以降、電気が復旧してからです。
感覚的には、「しばらくは帰れないのでは」と思ったのはその頃、地震発生当日ではなく、情報が入りだした翌日以降です。
戦後最大最悪規模の大災害。
おそらくは私の人生の中でも、その時に被災したことは忘れられない経験。
結局は現地にいたのは、地震発生からたった3日間、しかも比較的被害の少ない地域でしたが、その経験は今後の人生における考え方に影響を受けている筈です。
2011年3月11日、まさにその時、私は岩手県盛岡市にいました。
1週間前の今頃、私は盛岡駅近くの避難所にいました。
これからどうなるんだろ…帰れるのか?とか考えながらも、現時点で出来ることをするしかない状況。
床の上に敷かれたブルーシートの上で、毛布一枚で眠る状況。
時折くる余震。
停電で真っ暗な盛岡市内。
つながらない携帯電話。
情報がほとんど入ってこない状況で不安もありましたが、今考えると、その時はその情報の少なさが避難している人の希望にもなっていたかも知れません。
つまりは、今は色々な災害状況が報道されていることで「大災害」という実感がありますが、その時、その場では情報が少ない為にそこまでの認識がなかったんですね。
確かに今は停電しているし、新幹線も止まっている。
でも、いつかは停電も復旧するだろうし、新幹線も動くのではないか。
と、思っていましたから。
でも、現実は想像を絶する大災害でした。
その規模を有る程度認識したのは、翌日の夕方以降、電気が復旧してからです。
感覚的には、「しばらくは帰れないのでは」と思ったのはその頃、地震発生当日ではなく、情報が入りだした翌日以降です。
戦後最大最悪規模の大災害。
おそらくは私の人生の中でも、その時に被災したことは忘れられない経験。
結局は現地にいたのは、地震発生からたった3日間、しかも比較的被害の少ない地域でしたが、その経験は今後の人生における考え方に影響を受けている筈です。