風邪の治りかけと当直明けで、程よい眠気と倦怠感に包まれて迎えた大晦日の朝です。くりぼうです。
「正月は冥途の旅の一里塚 うれしくもありうれしくもなし」
一休さんで有名な一休宗純の歌です。人気長寿番組「笑点」の先代司会である第5代三遊亭円楽さんが、同番組の正月特番などでこの歌を引き合いにしていたのを覚えていますが、歳を重ねるごとに、だんだんこの歌が冗談ではなくなってくるのが分かります。
しかし今年に限っては、次の一里塚を無事迎えられることをただひたすらに感謝し、「うれしくもなし」の感情は当分捨てて、本当は迎えたくないはずの次の一里塚に向けて歩き続けねばならないと感じています。
さて、今年も1年あっという間でありましたが、今回は「人は歳をとるとなぜ時間の経つのが早く感じられるのか」を真剣に議論したいと思います。
諸説ありますが、歳を重ねると短期記憶力が低下し最近の出来事が思い出せない(というより、記憶からほぼ完全に消えてしまっている)ため、1年前の今頃まで記憶を遡ってもあまり何も出てこないから、というのが私の理解でした。
もうひとつ、「1年という期間がその人の人生のに占める比率が年々低くなってくるから」という説を妻から聞きました。つまり、10歳の子供にとっては人生の1割だけど、34歳の人にとっての1年間は人生の34分の1でしかなくなるからという理屈です。
しかし、年々加速度的に早くなってくるのも事実なので、後者の理論だとちょっと無理がありそうです。つまり、0歳児が感じる1年間を基準の1年間と定義すると、n歳の人間のこれまでの体感期間は1+1/2+1/3+・・・・+1/n+1で与えられるわけです。
n→∞でこの和も無限大に発散します(これ読んでる理系の高校生いるかな)が、n=80でも計5年くらいにしかなりません。人生80年が体感5年。さすがにそんなわけないとは思うけど・・・脳みその深いところに刻み込まれている記憶が10代くらいまでだとしたら、案外この体感5年という数字も、80を迎えたそのときには納得の数字なのかもしれません。
ちなみにいろいろ調べた結果、最も真理に近いと思われる「解答」が見つかりましたので紹介します。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
この世での我々が体験できる量はほぼ一定Nであるとしよう。自分が今までに体験した量をYとすると、まだ体験していない量は (N-Y) であり、自分が新しく体験する量の増加率は、このまだ体験していない量 (N-Y) に比例するであろう。すなわち、生まれてからの時間をnとして
dY/dn=k(N-Y) (k は正の比例定数)
これを解くと
Y=N(1-e-kn)
となる。いま、N=A/(1-e-k)、e-k=r (A、rは定数で 0<r<1) とおくと次のようになる。
Y=A(1-rn)/(1-r)=A(1+r+r2+r3+…+rn-1)
生まれて最初の1年はやはり1年と感じるが、1~2歳までの1年間は r年と感じ、2~3歳までの1年間は r2年と感じ、3~4歳までの1年間は r3年と感じ、… というようにどんどん短く感じる。すなわち、生きた実際年が (n-1)~n年までの1年を我々は
rn-1年と感じるということである。
------------------------------------------------------------------------------------------------------
話が難しくなって恐縮ですが、噛み砕いて説明しますので最後までお付き合いください。
rの値が1に近づけば近づくほど体感年数が長くなり、たとえばr=0.999だと実際の生きてきた年数と体感する年数がほぼ一致します。r=0.99ですと、平均寿命まで生きてだいたい人生50年くらいに感じるらしいです。しかしrが0.8くらいだと、「何歳まで生きても体感年齢は5年」という恐ろしい結果となります。
N=A/1-rですので、rを1に近づけるにはNを無限大に大きくする、つまり人生で体験してきた(これから体験する)ことの絶対量を増やせばよいのです。
この内容は、とある数学好きのエッセイを引用させていただいたものですが、r の値は、その人が如何に新しいことに挑戦し続けた充実した人生であるかどうかを表す指標ということができるかもしれないと綴ってあります。しかるに、1年が早いというのは実は反省すべき点なのです。
今年1年、色んなことがありました。県内外で様々な方との出会いがあり、みな私を一回り成長させてくれる素敵な方ばかりでした。また、忘れてしまいたいことも少しだけありましたが、震災の教訓や今後の被災者への支援など、決して忘れてはならないこともありました。すべてNを増やしてrを1に近づけさせてくれる出来事でした。
歳が明けないうちに、この場をお借りしまして今年1年のご支援、ご厚情に感謝申し上げます。そして、来る年のみなさまのご健勝とご多幸をお祈りします。
私と同様に今年1年あっという間だったという方、来年はぜひ、丸1年分をしっかり堪能しましょう。
次なる一里塚を目指して。
来年もよろしく.
でも、今回ばかりは本当に読んでいないのではないかと心配になります。
時の経過の速さは私自身もひしひしと感じます。
理系の難しい話は理解が到底及びませんが、
近年の情報量の多さが記憶力を混沌の中に落としこんでいるようにシロウト考えでおります。
いずれにしても次の一里塚を過ぎるにあたり
何が大事なのかを考えていかねばならないと思います。
大晦日にくりぼう先生のお話を伺う事ができまして
新年を向けた抱負を残す所後僅かの本年の時間の中、
じっくりと考える事ができました。
来年も楽しみに拝読します。
良いお年をお迎え下さい。
今年も1年、素晴らしいコメントをいただきまして本当に有難うございました。紅白歌合戦のトリを見ながらブログを開いたら、最後の最後にこのコメントです。
嬉しいこと悲しいこと、いっぱい泣いて、もう来年に残す涙はないと思っていましたが、最後のひとしずくを感涙で流させていただきます。
どうか、良いお年をお迎えくださいませ!
私も手術場で「あれ、出して」とか「それ、出して」と言ってます。
やはり記憶がアヤフヤなのですかね。
年はとりたくないものです。
三十路過ぎると特に涙もろくてダメです。
今回の投稿、正直誰にも相手にされない内容かもと危惧していたのですが、思いのほか反響があり、新年早々嬉しい限りです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。