Obama: 'The hopes of a nation are here tonight' (CNN.com)
Obama's speech had a good heart (Post Partisan)
Remarks by the President at a Memorial Service for the Victims of the Shooting in Tucson, Arizona (The White House)
銃による犯罪が一般的なアメリカにおいてでも、1月8日に発生した銃撃事件は確かに衝撃的なできごとでした。
それはいくつもの偶然の産物でもありました。
例えば、もし犯人が国会議員の演説会場で銃声を響かせなかったらどうだったのでしょうか。今回は民主党の
下院議員が頭に銃弾を受け、平和なはずの街のセーフウェイの前に集まった6人が命を落としました。
まるで「24」で起こるような政治的なものが絡んだ事故が現実のニュースとなったことは、ふつうの銃撃事件、
例えば解雇された会社への逆恨みによる襲撃であったり、あるいはバージニア工科大学での銃撃事件とは
一線を画します。
そして、もしこの事件がアリゾナ州で起こらなかったらどうだったのでしょうか。昨年来、不法移民への対処をめぐり、
アリゾナ州という名前はアメリカでは保守とリベラルの対立と結び付けられました。事件が発生したとき、メディアは
すぐにこのことを頭に浮かべました。犯人は保守派の考えに傾倒しているから、民主党議員を襲ったのではないか、
というものです。しかし実際のところ犯人は政治的なトーク番組を見たり聞いたりすることはなかったと言われてます。
そして、もし被害者にクリスティーナ・テイラー・グリーンという9歳の女の子がいなかったらどうだったのでしょうか。
アメリカにとって独立記念日と同じくらい重要な日である、2001年9月11日に生まれたこの優秀な女の子は、
「9.11の日に産まれた全米の50人」のひとりに選ばれ、学校の生徒委員にも選ばれ、将来をよりよいものにしようと
夢見ていました。そしてこの日も下院議員に会うためにスーパーマーケットまで来て、自宅へ帰ることはなかったのです。
いくつもの現実と偶然、思惑、そして一発の銃声がこの事件を全米中へ衝撃を与え、大統領の出席のもとでの
追悼式典にまで繋がりました。
心理的にも政治的にも難しいこの出来事に対して、オバマ大統領は何を語るのかは相当の注目を浴び続けました。
そこで大統領が語ったのは、ものすごくスタンダードなことであり、それでいて重要なことでした。おおまかに分けると、
大統領は以下の内容を語ったと言えるでしょう。
・命を落とした6人への弔辞
・犯人を捕まえる、あるいは議員を含めた負傷者を救おうとした勇気ある人達への賞賛
・事件以降、初めて目を覚ました議員の奇跡(これはこの演説の時に初めて「報道」されました)
・対立ではなく融和の呼びかけ、例えば以下の文脈において。
(I)t’s important for us to pause for a moment and make sure that
we’re talking with each other in a way that heals, not in a way that wounds.
・世界に、そして将来の世代に対して誇れる民主主義国家アメリカを創り上げることへの決意
I want our democracy to be as good as Christina imagined it.
I want America to be as good as she imagined it.
All of us -– we should do everything we can to make sure this country lives up to
our children’s expectations.
オバマ大統領(と優秀なスピーチライター)は、これらのすべてを今回の演説に織り込ませました。「融和の呼びかけ」は
正に大統領と民主党が直面し、21世紀のアメリカで渦巻いている保守とリベラルの先鋭的な対立を意識した今日的な
政治に対する部分になります。この事件が全米規模の、そして世界規模のニュースになったのは、正しくアメリカ国内の
こうした側面があったからにほかなりません。
しかし、この部分を除き、大統領とスタッフは党派的な要素を省いたと思います。もちろん大統領の演説である以上、
どの発言を選んでも政治的な捉え方は可能です。それでも、大統領が重きに置いたのは「集会及び言論の自由」の
権利を行使した場面で発生した事件に対しても、アメリカの民主主義は揺らぐことはないという、アメリカではごくごく
当たり前の理念だったと思います。むしろこの事件を通じて、そしてこの場面で生命を絶った9歳の女の子の思いを
叶えるためにも、アメリカは前進をしていくべきだという決意を言いたかったのだという印象を受けました。
突発的に発生した事件に対する今回のツーソン演説は、オバマ大統領の大統領就任演説以来で最も重要性の高い
演説ではなかったかと思います。それでいて衝撃と分裂を生み出しているアメリカ国内をひとつにまとめようとした、
素晴らしい演説だったと言えるでしょう。それは大統領が政治家としてではなく、アメリカ国民代表として語ったことに
大きな意味があったと思います。
Obama's speech had a good heart (Post Partisan)
Remarks by the President at a Memorial Service for the Victims of the Shooting in Tucson, Arizona (The White House)
銃による犯罪が一般的なアメリカにおいてでも、1月8日に発生した銃撃事件は確かに衝撃的なできごとでした。
それはいくつもの偶然の産物でもありました。
例えば、もし犯人が国会議員の演説会場で銃声を響かせなかったらどうだったのでしょうか。今回は民主党の
下院議員が頭に銃弾を受け、平和なはずの街のセーフウェイの前に集まった6人が命を落としました。
まるで「24」で起こるような政治的なものが絡んだ事故が現実のニュースとなったことは、ふつうの銃撃事件、
例えば解雇された会社への逆恨みによる襲撃であったり、あるいはバージニア工科大学での銃撃事件とは
一線を画します。
そして、もしこの事件がアリゾナ州で起こらなかったらどうだったのでしょうか。昨年来、不法移民への対処をめぐり、
アリゾナ州という名前はアメリカでは保守とリベラルの対立と結び付けられました。事件が発生したとき、メディアは
すぐにこのことを頭に浮かべました。犯人は保守派の考えに傾倒しているから、民主党議員を襲ったのではないか、
というものです。しかし実際のところ犯人は政治的なトーク番組を見たり聞いたりすることはなかったと言われてます。
そして、もし被害者にクリスティーナ・テイラー・グリーンという9歳の女の子がいなかったらどうだったのでしょうか。
アメリカにとって独立記念日と同じくらい重要な日である、2001年9月11日に生まれたこの優秀な女の子は、
「9.11の日に産まれた全米の50人」のひとりに選ばれ、学校の生徒委員にも選ばれ、将来をよりよいものにしようと
夢見ていました。そしてこの日も下院議員に会うためにスーパーマーケットまで来て、自宅へ帰ることはなかったのです。
いくつもの現実と偶然、思惑、そして一発の銃声がこの事件を全米中へ衝撃を与え、大統領の出席のもとでの
追悼式典にまで繋がりました。
心理的にも政治的にも難しいこの出来事に対して、オバマ大統領は何を語るのかは相当の注目を浴び続けました。
そこで大統領が語ったのは、ものすごくスタンダードなことであり、それでいて重要なことでした。おおまかに分けると、
大統領は以下の内容を語ったと言えるでしょう。
・命を落とした6人への弔辞
・犯人を捕まえる、あるいは議員を含めた負傷者を救おうとした勇気ある人達への賞賛
・事件以降、初めて目を覚ました議員の奇跡(これはこの演説の時に初めて「報道」されました)
・対立ではなく融和の呼びかけ、例えば以下の文脈において。
(I)t’s important for us to pause for a moment and make sure that
we’re talking with each other in a way that heals, not in a way that wounds.
・世界に、そして将来の世代に対して誇れる民主主義国家アメリカを創り上げることへの決意
I want our democracy to be as good as Christina imagined it.
I want America to be as good as she imagined it.
All of us -– we should do everything we can to make sure this country lives up to
our children’s expectations.
オバマ大統領(と優秀なスピーチライター)は、これらのすべてを今回の演説に織り込ませました。「融和の呼びかけ」は
正に大統領と民主党が直面し、21世紀のアメリカで渦巻いている保守とリベラルの先鋭的な対立を意識した今日的な
政治に対する部分になります。この事件が全米規模の、そして世界規模のニュースになったのは、正しくアメリカ国内の
こうした側面があったからにほかなりません。
しかし、この部分を除き、大統領とスタッフは党派的な要素を省いたと思います。もちろん大統領の演説である以上、
どの発言を選んでも政治的な捉え方は可能です。それでも、大統領が重きに置いたのは「集会及び言論の自由」の
権利を行使した場面で発生した事件に対しても、アメリカの民主主義は揺らぐことはないという、アメリカではごくごく
当たり前の理念だったと思います。むしろこの事件を通じて、そしてこの場面で生命を絶った9歳の女の子の思いを
叶えるためにも、アメリカは前進をしていくべきだという決意を言いたかったのだという印象を受けました。
突発的に発生した事件に対する今回のツーソン演説は、オバマ大統領の大統領就任演説以来で最も重要性の高い
演説ではなかったかと思います。それでいて衝撃と分裂を生み出しているアメリカ国内をひとつにまとめようとした、
素晴らしい演説だったと言えるでしょう。それは大統領が政治家としてではなく、アメリカ国民代表として語ったことに
大きな意味があったと思います。