公務員の団体交渉権剥奪法成立へ=採決強行に労組反発―米ウィスコンシン州(時事通信) - goo ニュース
先日見たドラマ「コールドケース」(セカンドシーズン)では、100万人大行進のころに交際を持っていた
黒人の男性(被害者)と白人の女性の話でした。1960年代には南部ほどではなくても、ドラマの舞台である
フィラデルフィアでも黒人への差別は残っていました。黒人の間でも、キング牧師寄りの考えを持つ人と
マルコムX寄りの思想の持ち主もいました。
しかし、いずれにしても、当時建国後まだ200年も経過していないアメリカにおいて、公民権運動は今で
言うところの一種の民主化運動でした。そのことは民主化を勝ち取るにはそれなりの代償も伴うのだと
いうことです。それは民主主義の宣教師的な役割を演じるアメリカも同じことでした。
もっといえば、民主化あるいは専制政治からの脱却とその過程での内乱はセットだとも言えます。
イギリスでの2度の革命もそうでしたし、そのイギリスの支配から逃れようとしたアメリカの独立戦争も
そうだと言えます。それに触発されたのがフランス革命であり、フランスではその後何度かの革命を経て
今に至ります。アジアでも天安門事件しかり、光州事件しかりです。
そうした歴史の流れを見ると、中東や北アフリカで起こっている反政府運動や内戦も理解できるように
感じます。民主主義とは選択の自由や言論の自由を維持することですが、あのような国ではこれまで
そうしたものを抑え込まれていました。その状況でもほどよい生活をできていれば問題なかったのでしょう。
しかし一旦何かにたいして苦しさを感じたとき、今回でいえば経済状況ですが、あるいは自国と他国との違い
もっと言えば他の世界との違いに気づいてしまったとき、人々はそうした自由を求めます。一方で政府、
統治者側は国民の動きに反発をします。それは多くの歴史上の運動にも、程度の差こそあれ、共通している
ように感じます。
一方、アメリカでは逆に民主主義が成熟しすぎたゆえの出来事が起こっています。ウィスコンシン州で
知事が財政再建のため、公務員への経費削減に手をつけようとしたところ、組合員が反発しデモを行う
事態に発展しました(日本と違いアメリカや一部の欧州諸国では公務員にも団体交渉権があります)。
この中には教師の組合員も含まれ、デモのために休校になるところも出たほどです。この対立の裏には、
アメリカ建国以来の対立、小さな政府(知事を含めた共和党)と大きな政府(組合員を含めた民主党)があり、
そこに現代の民主主義の特徴であるティーパーティーが絡み、州レベルを越えた事件になりました。
そこにあるのは、民主主義のもうひとつの特色である話し合いや合意ではなく、極度な言論の自由と
極度な党派色のように感じます。それはもはや多数決という、民主主義版の伝家の宝刀のようなものにしか
頼れない世界のようです。
適度な独裁などありませんが、適度な民主主義というものも失われているのかもしれません。
先日見たドラマ「コールドケース」(セカンドシーズン)では、100万人大行進のころに交際を持っていた
黒人の男性(被害者)と白人の女性の話でした。1960年代には南部ほどではなくても、ドラマの舞台である
フィラデルフィアでも黒人への差別は残っていました。黒人の間でも、キング牧師寄りの考えを持つ人と
マルコムX寄りの思想の持ち主もいました。
しかし、いずれにしても、当時建国後まだ200年も経過していないアメリカにおいて、公民権運動は今で
言うところの一種の民主化運動でした。そのことは民主化を勝ち取るにはそれなりの代償も伴うのだと
いうことです。それは民主主義の宣教師的な役割を演じるアメリカも同じことでした。
もっといえば、民主化あるいは専制政治からの脱却とその過程での内乱はセットだとも言えます。
イギリスでの2度の革命もそうでしたし、そのイギリスの支配から逃れようとしたアメリカの独立戦争も
そうだと言えます。それに触発されたのがフランス革命であり、フランスではその後何度かの革命を経て
今に至ります。アジアでも天安門事件しかり、光州事件しかりです。
そうした歴史の流れを見ると、中東や北アフリカで起こっている反政府運動や内戦も理解できるように
感じます。民主主義とは選択の自由や言論の自由を維持することですが、あのような国ではこれまで
そうしたものを抑え込まれていました。その状況でもほどよい生活をできていれば問題なかったのでしょう。
しかし一旦何かにたいして苦しさを感じたとき、今回でいえば経済状況ですが、あるいは自国と他国との違い
もっと言えば他の世界との違いに気づいてしまったとき、人々はそうした自由を求めます。一方で政府、
統治者側は国民の動きに反発をします。それは多くの歴史上の運動にも、程度の差こそあれ、共通している
ように感じます。
一方、アメリカでは逆に民主主義が成熟しすぎたゆえの出来事が起こっています。ウィスコンシン州で
知事が財政再建のため、公務員への経費削減に手をつけようとしたところ、組合員が反発しデモを行う
事態に発展しました(日本と違いアメリカや一部の欧州諸国では公務員にも団体交渉権があります)。
この中には教師の組合員も含まれ、デモのために休校になるところも出たほどです。この対立の裏には、
アメリカ建国以来の対立、小さな政府(知事を含めた共和党)と大きな政府(組合員を含めた民主党)があり、
そこに現代の民主主義の特徴であるティーパーティーが絡み、州レベルを越えた事件になりました。
そこにあるのは、民主主義のもうひとつの特色である話し合いや合意ではなく、極度な言論の自由と
極度な党派色のように感じます。それはもはや多数決という、民主主義版の伝家の宝刀のようなものにしか
頼れない世界のようです。
適度な独裁などありませんが、適度な民主主義というものも失われているのかもしれません。