Gehrig's courage honored around MLB(MLB.com)
Why there will never be another Lou Gehrig(SI.com)
7月4日はアメリカ独立記念日であると同時に、1939年のこの日、ルー・ゲーリックがアメリカの歴史上でも
5本の指に入るだろう印象的な"Luckiest Man" スピーチを行った日でもあります。"Iron Horse"と呼ばれた
ゲーリックは、2,130試合連続出場を果たしながらも、自分の筋肉が急速に衰えていることを悟りました。
当時のあるヤンキーズの選手は、ある日ロッカーでゲーリックをふざけ半分で突き飛ばしたところ、
ゲーリックは「やめろよ!」と、衰え続ける力を振り絞り本気で怒ったという話があるほどです。
このスピーチの少し前、ゲーリックは自らジョー・マッカーシー監督にスタメンから自分を外すよう願い出ました。
その後すぐ、ゲーリックは今でもその有効な治療法が確立されていない難病、ALS(筋萎縮性即索硬化症)で
あることを宣告されました。そして7月4日のスピーチを迎えます。
Lou Gehrig's speech
それから約2年後、ゲーリックはついに力尽きました。この難病は「ルー・ゲーリック病」と呼ばれるように
なるのはこれを契機としています。
この印象的なスピーチから70年、メジャーリーグでは全体でこのスピーチを記念し、ゲーリックの勇気を称え、
そしてこの難病への注意を喚起するため、試合がある15球場すべてでゲーリックのスピーチを読むイベントが
行われました。また選手のユニフォームには以下のようなワッペンが貼られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/46/d64d3647a7a368d40eff2ed8121c06ff.png)
ゲーリックは試合を休まず出たことのガッツとその後襲った不幸により、ヤンキーズファンの間ではもちろん、
アンチヤンキーズの間でも、その尊敬の念は別格なものです。それはゲーリックが現役時代に非常なまでの
紳士であったことも一因しています。今でもヤンキーズの選手たちは「紳士たれ!」と厳命されていて、
わかりやすいところではヒゲはダメ、長髪はダメとされています。でもそれは見た目の部分でのことであり、
中身はどうなのでしょう?というより、ヤンキーズの選手、特にジーターやロドリゲスクラスのスター選手には、
芸能人と同じくらいの注目度とメディアの視線が集まっています。ジーターやロドリゲスは彼らが考えるところの
紳士であり続けているのかもしれませんが、それを執拗に付きまとうメディアがぶち壊しているのかもしれません。
メジャーリーグやNFLなどのアメリカのスポーツを見ている人の中には、日本のメディアよりもアメリカのそれが
いいんだと言う人もいますが、個人的にはその優位性はアメリカを本拠をしている分ニュースソースに近いから、
ではないかと思います。実際には憶測や希望、先入観に基づいた記事を書くこともあるし、特にメディア間の
競争が激しくなり、過激な見出し、これぞというネタを提供し続けなければ飽きられます。その中でどうしても、
スター選手を勝手に悪役にしてみたり、ステロイド疑惑を持ち出したり、1を10にして報道したりするのです。
逆にゲーリックがいたころのメディアも、もちろん追っかけ系の記者はいたのでしょうが、今と比べれば
もっとゆったりしているし、選手のプライベートを書いたとしても"sanitized"、つまり好ましくない部分を
削除して新聞記事にしてしまっていたほどなのだそうです。恐らく当時は「メディア担当」であったり、
「メディア対策」などという概念はなかったことでしょう。今ではたいしたことはないと思われることでも、
当時は汚らわしいと考えられていただろうから、その分、書かれる記事も純粋なものが多いのかもしれません。
時代環境によりスター性を放っていたあるいは保つことができていたゲーリックでも、ちょっと夜の火遊びを
していたことがあったようです。それでも、ゲーリックは恐らく今の選手よりも紳士であったのではないかと
勝手に思ってしまいます。加えて、ゲーリックは難病に冒されたから記憶に残っているのではなく、それ以前に、
ゲーリックがすばらしい選手であり、かつすばらしい人物であったから記憶に残っているからだと思います。
70年が経過し、メディアの役割が変わり、人々の知の嗜好も変わりました。今では選手自らがTwitterで自分の
意見を堂々と述べるくらいに、オンとオフの境目があいまいになりつつあります。そんな時代にゲーリックほどに
人気を集める選手は山ほど出ても、彼ほど威厳と尊敬を集める現役選手は出にくいかもしれません。それでも、
ゲーリックのように「自分を生き切る」人であれば、どのような世界であっても、人々は一定の評価をする
ように思います。メディアが粗を探さなければ、ですが。
Why there will never be another Lou Gehrig(SI.com)
7月4日はアメリカ独立記念日であると同時に、1939年のこの日、ルー・ゲーリックがアメリカの歴史上でも
5本の指に入るだろう印象的な"Luckiest Man" スピーチを行った日でもあります。"Iron Horse"と呼ばれた
ゲーリックは、2,130試合連続出場を果たしながらも、自分の筋肉が急速に衰えていることを悟りました。
当時のあるヤンキーズの選手は、ある日ロッカーでゲーリックをふざけ半分で突き飛ばしたところ、
ゲーリックは「やめろよ!」と、衰え続ける力を振り絞り本気で怒ったという話があるほどです。
このスピーチの少し前、ゲーリックは自らジョー・マッカーシー監督にスタメンから自分を外すよう願い出ました。
その後すぐ、ゲーリックは今でもその有効な治療法が確立されていない難病、ALS(筋萎縮性即索硬化症)で
あることを宣告されました。そして7月4日のスピーチを迎えます。
Lou Gehrig's speech
それから約2年後、ゲーリックはついに力尽きました。この難病は「ルー・ゲーリック病」と呼ばれるように
なるのはこれを契機としています。
この印象的なスピーチから70年、メジャーリーグでは全体でこのスピーチを記念し、ゲーリックの勇気を称え、
そしてこの難病への注意を喚起するため、試合がある15球場すべてでゲーリックのスピーチを読むイベントが
行われました。また選手のユニフォームには以下のようなワッペンが貼られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/46/d64d3647a7a368d40eff2ed8121c06ff.png)
ゲーリックは試合を休まず出たことのガッツとその後襲った不幸により、ヤンキーズファンの間ではもちろん、
アンチヤンキーズの間でも、その尊敬の念は別格なものです。それはゲーリックが現役時代に非常なまでの
紳士であったことも一因しています。今でもヤンキーズの選手たちは「紳士たれ!」と厳命されていて、
わかりやすいところではヒゲはダメ、長髪はダメとされています。でもそれは見た目の部分でのことであり、
中身はどうなのでしょう?というより、ヤンキーズの選手、特にジーターやロドリゲスクラスのスター選手には、
芸能人と同じくらいの注目度とメディアの視線が集まっています。ジーターやロドリゲスは彼らが考えるところの
紳士であり続けているのかもしれませんが、それを執拗に付きまとうメディアがぶち壊しているのかもしれません。
メジャーリーグやNFLなどのアメリカのスポーツを見ている人の中には、日本のメディアよりもアメリカのそれが
いいんだと言う人もいますが、個人的にはその優位性はアメリカを本拠をしている分ニュースソースに近いから、
ではないかと思います。実際には憶測や希望、先入観に基づいた記事を書くこともあるし、特にメディア間の
競争が激しくなり、過激な見出し、これぞというネタを提供し続けなければ飽きられます。その中でどうしても、
スター選手を勝手に悪役にしてみたり、ステロイド疑惑を持ち出したり、1を10にして報道したりするのです。
逆にゲーリックがいたころのメディアも、もちろん追っかけ系の記者はいたのでしょうが、今と比べれば
もっとゆったりしているし、選手のプライベートを書いたとしても"sanitized"、つまり好ましくない部分を
削除して新聞記事にしてしまっていたほどなのだそうです。恐らく当時は「メディア担当」であったり、
「メディア対策」などという概念はなかったことでしょう。今ではたいしたことはないと思われることでも、
当時は汚らわしいと考えられていただろうから、その分、書かれる記事も純粋なものが多いのかもしれません。
時代環境によりスター性を放っていたあるいは保つことができていたゲーリックでも、ちょっと夜の火遊びを
していたことがあったようです。それでも、ゲーリックは恐らく今の選手よりも紳士であったのではないかと
勝手に思ってしまいます。加えて、ゲーリックは難病に冒されたから記憶に残っているのではなく、それ以前に、
ゲーリックがすばらしい選手であり、かつすばらしい人物であったから記憶に残っているからだと思います。
70年が経過し、メディアの役割が変わり、人々の知の嗜好も変わりました。今では選手自らがTwitterで自分の
意見を堂々と述べるくらいに、オンとオフの境目があいまいになりつつあります。そんな時代にゲーリックほどに
人気を集める選手は山ほど出ても、彼ほど威厳と尊敬を集める現役選手は出にくいかもしれません。それでも、
ゲーリックのように「自分を生き切る」人であれば、どのような世界であっても、人々は一定の評価をする
ように思います。メディアが粗を探さなければ、ですが。