根来氏が代行職へ プロ野球コミッショナー(共同通信) - goo ニュース
プロ野球オーナー会議:根来氏、コミッショナー代行で続行(毎日新聞)
[スポーツの正しい見方] 反省なき日本プロ野球(goo スポーツ:NumberWeb)
よく日本のメディア、中日新聞にしろ読売新聞にしろ、企業が不祥事を起こしたときに使う言葉の中に
「トップの不在」というものがありますが、日本プロ野球は文字通り「トップ不在」の状況になっています。
別の記事によれば、1月23日のプロ野球実行委員会で、根来泰周コミッショナーは「お世話になりました」と
あいさつをして退任が決まったのですが、翌日のオーナー会議で「コミッショナー代行」として11月まで
コミッショナー職を続けることになりました。わざわざ退任の挨拶をする必要があったのでしょうか?
形式上、「お世話になりました」と言う他なかったのでしょう。
根来氏も、これまでのコミッショナー同様お飾り的な存在として就任し、2004年の騒動の時には、
法律家らしく野球協約を守り、手足を出すことをしませんでした(穏やかに言うのであれば、
できなかった)。しかし一方では言いたいことはしっかりと言っていたようです。例えば毎日新聞の
記事には、2004年9月の出来事が書かれています。
再編騒動に揺れ動いた2004年の9月、根来氏は故郷・和歌山での講演で、プロ野球界を
「無責任社会。将来のことなんて誰も考えておらず、自分が儲(もう)かるか否かばかりだ」と
こき下ろした。
例えば、NFLのコミッショナーがこうした発言をしたらオーナーたちは絶対に猛反発をするはずです。
1企業のCEOが、どこぞの講演で「うちの部下たちはぜんぜん仕事をしてくれない」と非難するのと
同じだからです。日本のプロ野球のコミッショナーは、せいぜい「象徴性ご意見番」なので、
こうしたこともはっきり言えたのでしょう。
また昨年5月の半ばに地味ながら発生していた、セリーグのプレイオフ導入に関して議論が
起こったときにも、根来氏は一時は導入断念を決め込んだセリーグに対して「再考しろ!」と
「喝」を与えました。言いたいことは言えたけど、行動には縛りがあった、というべきでしょうか。
こうした経験をしたからこそ、または身勝手なオーナーたちへの反抗心も多少はあってか、
根来氏はコミッショナーを辞めて野球協約の改定、つまりコミッショナー権限の強化をしようと
したのですが、今度は身勝手なオーナーたちが慰留に動き、結局あと10ヶ月ほど「代行」として
残ることになりました。コミッショナーを「辞めて」コミッショナーの権限強化を図りたいというのも、
法律家らしいまじめな考え方に写ります。
しかし、野球協約の問題は前々から言われていること。ここで問題なのは、まずコミッショナーの
進退という問題がスポーツメディアの間でも扱いが小さく、ルーキーの最初の給料は何に使われるかという
どうでもいい話題が目立っている点です。
もうひとつは、後任選びが話題にも上がっていないし、メディアは今後も後任が決まるまでそうした話題を
上げないだろうということです。NFLではポール・タグリアブ前コミッショナーが任期満了での退任を
発表して以後、候補者選びのニュースは何度も取り上げられていました。MLBでも2009年での
退任を発表しているバド・セリグ氏の後釜について語られる一方(そこには現大統領も含む!?)、
そもそも日本にはプロ野球のコミッショナーになりたいと自発的に思っている人がいるのかどうかすら
疑わしい現状です。それもこれもコミッショナーの権限が小さい故でしょうか。
そういえば、昨年、安倍政権になってしばらくしてから「改革疲れ」という言葉がメディアに出ていましたが、
どうもプロ野球自体が「改革疲れ」に陥っているようです。仮に2009年MLBに「ブッシュコミッショナー」が
誕生するのであれば、日本はそれを見越して「小泉コミッショナー」にしたらどうですか?
プロ野球オーナー会議:根来氏、コミッショナー代行で続行(毎日新聞)
[スポーツの正しい見方] 反省なき日本プロ野球(goo スポーツ:NumberWeb)
よく日本のメディア、中日新聞にしろ読売新聞にしろ、企業が不祥事を起こしたときに使う言葉の中に
「トップの不在」というものがありますが、日本プロ野球は文字通り「トップ不在」の状況になっています。
別の記事によれば、1月23日のプロ野球実行委員会で、根来泰周コミッショナーは「お世話になりました」と
あいさつをして退任が決まったのですが、翌日のオーナー会議で「コミッショナー代行」として11月まで
コミッショナー職を続けることになりました。わざわざ退任の挨拶をする必要があったのでしょうか?
形式上、「お世話になりました」と言う他なかったのでしょう。
根来氏も、これまでのコミッショナー同様お飾り的な存在として就任し、2004年の騒動の時には、
法律家らしく野球協約を守り、手足を出すことをしませんでした(穏やかに言うのであれば、
できなかった)。しかし一方では言いたいことはしっかりと言っていたようです。例えば毎日新聞の
記事には、2004年9月の出来事が書かれています。
再編騒動に揺れ動いた2004年の9月、根来氏は故郷・和歌山での講演で、プロ野球界を
「無責任社会。将来のことなんて誰も考えておらず、自分が儲(もう)かるか否かばかりだ」と
こき下ろした。
例えば、NFLのコミッショナーがこうした発言をしたらオーナーたちは絶対に猛反発をするはずです。
1企業のCEOが、どこぞの講演で「うちの部下たちはぜんぜん仕事をしてくれない」と非難するのと
同じだからです。日本のプロ野球のコミッショナーは、せいぜい「象徴性ご意見番」なので、
こうしたこともはっきり言えたのでしょう。
また昨年5月の半ばに地味ながら発生していた、セリーグのプレイオフ導入に関して議論が
起こったときにも、根来氏は一時は導入断念を決め込んだセリーグに対して「再考しろ!」と
「喝」を与えました。言いたいことは言えたけど、行動には縛りがあった、というべきでしょうか。
こうした経験をしたからこそ、または身勝手なオーナーたちへの反抗心も多少はあってか、
根来氏はコミッショナーを辞めて野球協約の改定、つまりコミッショナー権限の強化をしようと
したのですが、今度は身勝手なオーナーたちが慰留に動き、結局あと10ヶ月ほど「代行」として
残ることになりました。コミッショナーを「辞めて」コミッショナーの権限強化を図りたいというのも、
法律家らしいまじめな考え方に写ります。
しかし、野球協約の問題は前々から言われていること。ここで問題なのは、まずコミッショナーの
進退という問題がスポーツメディアの間でも扱いが小さく、ルーキーの最初の給料は何に使われるかという
どうでもいい話題が目立っている点です。
もうひとつは、後任選びが話題にも上がっていないし、メディアは今後も後任が決まるまでそうした話題を
上げないだろうということです。NFLではポール・タグリアブ前コミッショナーが任期満了での退任を
発表して以後、候補者選びのニュースは何度も取り上げられていました。MLBでも2009年での
退任を発表しているバド・セリグ氏の後釜について語られる一方(そこには現大統領も含む!?)、
そもそも日本にはプロ野球のコミッショナーになりたいと自発的に思っている人がいるのかどうかすら
疑わしい現状です。それもこれもコミッショナーの権限が小さい故でしょうか。
そういえば、昨年、安倍政権になってしばらくしてから「改革疲れ」という言葉がメディアに出ていましたが、
どうもプロ野球自体が「改革疲れ」に陥っているようです。仮に2009年MLBに「ブッシュコミッショナー」が
誕生するのであれば、日本はそれを見越して「小泉コミッショナー」にしたらどうですか?