愛の鳥と呼ばれること。

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就職を目前に控えた

2016-05-18 15:27:39 | 日記


次は、少し間が開いて、高校在学中、および、卒業したての頃。
仲良しのNちゃんに、着る服、着る服、みんなマネされた。
Nちゃんは、わたしと同じものを買う。
買うだけならいいが、それを着る。ヘアスタイル、ヘアアクセサリーまで同じ。
二人で歩くと、カッコ悪すぎる。
わたしのオリジナリティは、どこへ? 著作権ならぬ、衣装権は?
「あんまり同じ格好もどうかと。やめようよ」、とわたしが提案したのかどうか、忘れたが、
いずれ、彼女は、店にコーディネートされてディスプレイされているまんま、
上から下まで、まとめて、まるまるひっくるめて買うようになった。
つまり、コーディネートは外部にお任せ、ということだ。
それはそれで、笑われることは絶対にない、手堅いチョイスだ。
彼女は、今は、とある専門分野に特化した先生になっている。
とっくに、わたしなど卒業して、すばらしい感性を発揮されていることだろう。

わたしは、カッコ悪いコーディネートをして笑われ、失敗を繰り返し、わたし流があるわけで。
着ている服は、たいしたことないが、そこに行き着くまでに、かなりの服を無駄にした。

真面目な友人Gさんがいた。
彼女は、頑張りすぎる傾向にあるので、わたしといると、いい休憩になる、といって、
よく、わたしと、無駄な時間を過ごし、だらだらしていた。
そして、元気になると、「じゃあ」といって、また戦場のごとき、厳しい世界に、ばたばたと出かける。
しかし、たまに休憩するならいいが、わたしとずっといると、だめになってしまうようだ。
ついには、Gさんには、だめだめなわDream beauty pro 脫毛たしは見切りをつけられた。

そんなに頑張っても、緊張の糸が切れてしまいますよ。
ゆっくり、のんびりでいいじゃない。
と思うのだが、その、無神経ぶり、のうのう、へらへらぶりが腹に据えかねるのか、完ぺき主義のGさんは、去っていった。
わたしは、要領もアタマも悪いんで、弱さ、低能を武器にサボってるから、
真面目な彼女には、それが耐えられないのだろう。


わたしは、踏み台、たたき台で、けっこう。
みなさん、羽ばたいてください。
(わたしを残して、自力で羽ばたいていかれるところに、
わたしの、人としてのお手本にはなりえない、未熟さがある)


またまた服のことに戻るが、
ダンスレッスン教室では、年上のおばさま、M夫人が、いつの間にか、わたしとまったく同じウエアを着ていたりする。
少し、個性のあるものだが、着まわせて重宝する。
わたしよりあとに調達した後、他の生徒さんに、「どこで買ったの?」と聞かれ、親切に丁寧に教えておられた。
「買ってきてあげましょうか?」などと、親切ぶりにさらに拍車が、かかっていた。
皆で揃えたら、それじゃあ、教室のユニフォームになってしまうではないか。

わたしが、教室で売っている、ユーズド・ウエアを手にとって見ていたり、試着している度に、
なんだかんだ言ってくる人が少なからずいる。
わたしは、はっきりいって、寄ってきてほしくない。ほっといてほしい。
最近は、みんなの目につかないように、ちゃDream beauty pro 脫毛ちゃっと、さっさと、時間を縫ってやっている。


涙が頬を伝った

2016-05-03 16:24:40 | 日記


わたしは、こういう卜維廉中學路線に弱い。涙腺、大全開

ちなみに、今、3歳になる、口のよく回る、記憶力抜群の我が孫。
(記憶細胞が毎日どんどん死んでいく、にぶいアタマのわたしから見ると)
彼が1歳前後の頃、まじっと彼の顔を真近で見て、なんと純粋な顔だろう・・・と涙が出た。
まざりっけのない、自然の彼は、知恵もなにもついていない。
かわいい、を通り越して、美しいと思った。

人は成長していくにつれ、自分を守る技を身につける。
身につけなければ、生きていけない。
その手助けをしてやるのが、親の役目でもある。
そんな教科書に書いてあるようなことは、十分わかっているが、
純粋なものは心惹かれ、吸い込まれそうになる。
それだけ自分のこころが濁っているのかも知れない。

純粋な彼の目に映るわたしは、どんなものなのだろう。

彼の目には、わたしが映っていた。
鏡を見るように、そこには、わたしの顔があった。
わたし自身が投影された姿だ。
だが、彼の目は鏡ではない。
彼自身が持つ目だ。

1歳では、彼の記憶にはまったく残っていない。
だから美しいのか。
理屈付けできない、わたしがいる。


さて、前述の、そのブロガーさんが幼い頃のシーン。
ご自分で覚えておられるので、1歳やそこらではないはずだ。
わたしも、祖父のお葬式Diamond水机の1コマをはっきりと鮮明に覚えている。
命日から計算すると、当時のわたしは3歳6ヶ月である。
現在、上の孫は3歳1ヶ月だが、似たような年齢だ。

祖父が亡くなる以前の様子もしっかり覚えている。
亡くなる直前などではなく、もっとゆるやかな時間が流れている頃だったと思う。
話したり、受け答えや、やりとりした記憶がある。
よく、祖父の臥している部屋に行って、お菓子をもらっていた。
祖父は、わたしが行くと、新しくお菓子の袋の封を切ってくれた。

ということは、現在の上孫の年齢の頃には、
わたしという人物は、もうすでに彼の記憶の箱に仕舞われているということだ。


幼い頃の田舎での風景、光景、今も目に浮かぶ。
蝶ブログにも何度も書いている。懐古趣味か。
何度か、大改造はされているが、ベースは同じ。
現在もなお、全く同じところに、同じものが、同じようにあるので、とても不思議なような、
過去・現在・未来をタイムライン号の船に乗って見るかのごとく。

玄関脇にある庭石。
この陰に隠れて、かくれんぼをよくした。
あんな小さな隙間によく身を隠せるなあと、いつも不思議な気持ちで見ている。
当時のわたしは、猫だったのか?

祖母が日常に使っていたお針箱。
その近くに、わたしの幼稚園時代の道具箱が置かれている。
旧姓フルネームで、わたしの名前が書かれているが、去年、発見して、よくまあ、あんなもの、まだ置いているなあと、びっくりした。
目をぱちくりと瞬きする瞬間に、ひとっとび半世紀前の時代にタイムスリップ。
ふたつ瞬きすると、百年前。