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昭和の思い出 尼崎 〜電車編〜

2020-12-19 21:37:18 | 日記
うろ覚えなので、事実とは異なるかも

しれません。ご了承くださいね。


ある日、突然 目の前にブルー系の列車が

走りました。

ひとは それを “新幹線” といってました。

たまに 黄色のが 走ると 幼心に

“なんか ちゃう” 。  

いつの間に 作ったんやろ。

新幹線の下には、公園ができたり、みんな

畑を作って いました。

新幹線沿いに、階段みたいなのが あって

多分、上にのぼれるように なっていて

“絶対 のぼったら あかん” と

言われていたので、見ないようにしてました。  

今では、防音壁がありますが その頃はなかったので

夜、新幹線が通るのを見ると 中程

食堂車だけ、暖色の灯りでした。

0系でした。

よく、列車の両数を数えました。

そして

その下を横に 通るのが国鉄。

よく、親に “国鉄は高いから”

と言われました。

私は、トイレがついてるから 高いんだ と

解釈しました。

その トイレですが、

線路は単線で 汽車で 線路沿いには  

かなりの量の 落とし紙が散らばっており

幼心に “だれがそうじするんやろ”と

思いました。

そういう自分も、汽車に乗ったら 

異常に硬い扉を開けて

便器は ただ単に 筒になって

線路の石ころが すごいスピードだしてるのが

見え、 停車中は我慢したり

よく、トイレに行きました。

このころ、生まれてはじめて

パタパタを見ました。

幼心に “うまいことするな” と。

複線になりましたが、汽車は現役で

ドアは開けっ放しで

飛び乗り 飛び降りOKで

よく 足をくじきました。

もちろん 灰皿あり。

切符買う時間なく 改札ダッシュで

くぐり抜けても 車掌がウロウロしてる

ので、車内で切符を買ってました。

車窓は大阪に行くのにたくさん製薬会社が

あったり

キリンビールの工場 森永 いろいろ

有名ですね。



夏はもちろん、扇風機。

阪急電車も 扇風機。

7号線は、昔から神戸線です。

進行方向にむかって まっすぐに降りないと

(3階から)

途中で降りると(2階)たちまち 方向が

わからなくなるのです。

神戸に行くとき

西宮北口から三宮まで止まらないので、

ドキドキします。(閉所恐怖症)

西宮北口には、阪急ブレーブス 西宮球場が

あって、競輪もあるってきいて

幼心に “どこをどうやってはしるんやろ”。

阪急電車の扉って、両扉じゃなかったような

気がする。阪急電車の切符 梅田の田のなかが

✘になってるのが

すごい 幼心に 気になっていました。

阪神電車は

物心ついたときから、青いのは普通。

だいだいは特急。

幼心に “中間はなんやろ”




おわり。