2012Thanksgiving Lunch at Senior Center
2012年11月21日、サンクスギビングの前日、シニアーセンターでサンクスギビングのランチがサーブされました。220人ものお年よりが集まりました。ターキー、マッシュドポテト、スタッフィング、ヤム、クランベリーソース、パンプキンパイ、大きなランチ、満腹になりました。価格は、約350円でした。
2012年11月21日、サンクスギビングの前日、シニアーセンターでサンクスギビングのランチがサーブされました。220人ものお年よりが集まりました。ターキー、マッシュドポテト、スタッフィング、ヤム、クランベリーソース、パンプキンパイ、大きなランチ、満腹になりました。価格は、約350円でした。
弱くなっていた下半身に衝撃で小さな骨折ヲきたした老人を見舞った。普段と変わらない顔で私を覚えていることも分からない状態の彼女が椅子に座らせてもらって、ランチのフルーツを食べていた。彼女は87歳。弱度の認知症を伴っている。日ごろ元気だったという彼女には、今回のことはショックが大きいようだった。今のまま死にたいと連発している。医療関係の仕事を退職した私には、久しぶりの病院訪問だった。彼女を目の前にして、専門的な意識が体中に帰って来る。彼女の心理の分析をして、対処の仕方を素早く頭の中に組み立てる。下手な会話で逆効果を生み出してはならないと注意をする。しかし、友人の知り合いの家族の一員であり、二三度面識のある彼女には、個人的な感情が出てくる。彼女の心理を分かりながら、家族や友人の心労も理解ができる。専門知識のない人たちには、病院にいること事態、想像を絶する心理状態であろう。不安と未知の世界であろう。失望も自己の破壊感も強いであろう。家族にとっても同様である。対処の仕方が分からないであろう。その中でのフラストレーションも大きいものであろう。久しぶりで私も難しい場面に遭遇した。
I visited my friend's friend's mother in a hospital. She is 87 and fractured part of lower body's bone. She was eating lunch in a chair. She had minor dementia. She seemed to be in a shocking event in a hospital. she was disappointed herself. She stated over and over she had been healthy. she did not want to show herself in a hospital. She even said she wanted to die. After retired, I have not seen hospital beds and nurse station. My professional feeling gradually came back, analyzing her feeling and construct my plan of caring. It is important not to create unhelpful result. It was little difficult not mixing own feeling, because I have known these people. I understood the mother's feeling, but also family and my friend's feeling. For ordinary people hospitalization of herself is a big issue. she must have fear and frustration. It is same as the family because they also do not know what to do. I saw difficult situation.
I visited my friend's friend's mother in a hospital. She is 87 and fractured part of lower body's bone. She was eating lunch in a chair. She had minor dementia. She seemed to be in a shocking event in a hospital. she was disappointed herself. She stated over and over she had been healthy. she did not want to show herself in a hospital. She even said she wanted to die. After retired, I have not seen hospital beds and nurse station. My professional feeling gradually came back, analyzing her feeling and construct my plan of caring. It is important not to create unhelpful result. It was little difficult not mixing own feeling, because I have known these people. I understood the mother's feeling, but also family and my friend's feeling. For ordinary people hospitalization of herself is a big issue. she must have fear and frustration. It is same as the family because they also do not know what to do. I saw difficult situation.
去年と同じように、今年もクリスマス前から一月初めまで、パリから娘が帰って来る。去年はおばあさん、友達との付き合いで、私とは少ししか過ごさなかったが、今年も多分そういうことになると、予想する。けれど、帰って来ることは、喜ばしいことで、くつろげれるようにしてやるつもりだ。娘もすでに32歳になった。おばさんの域に入りだした。私の中での娘では代わりがないが、その都度私も受け入れ態勢を変えなければならない。近頃は采配の仕方も変わってきている。私は、前に出ないようにしている。70歳にもなれば、当然のことである。母であることで、それを忘れることはあるものの、時には演技をすることもある。采配を振るわせてやるように仕向ける。彼女はそれが好きなのであるし、32歳にもなれば当然のことであろう。友達にもなれば、指導者にもなれば、相談役も引き受ける。母変化である。とに角、楽しみである。
オバマ大統領のベイエリア訪問
政治基金のキャンペーンの為、オバマ大統領がベイエリアにやってきた。午後12時過ぎに空港に到着予定だと言うことを、走行中のラジオで聞いた。お天気もよい。到着時刻は、私のお好みのエアーフランスの到着時刻と近い。行くことにしたすでに、大型キャメラや、望遠鏡、を持つ人、管制塔とのやり取りを短波放送で聴く人、集まっている。12時半、専用機が到着する。
登場口は使わず、タラップを下ろして、車で10分のサンフランシスコに向かった。レセプション、基金デナーを終えて、一泊して、翌日早朝、ワシントンに帰って行った。
空港は約30分閉鎖されて、飛行機の発着は約30分止まっていた。エアーフランスも予定時間を過ぎて、パリから長い飛行を終えて到着した。
スマートなエアーフランスの機体は、いつものゲートに入った。
政治基金のキャンペーンの為、オバマ大統領がベイエリアにやってきた。午後12時過ぎに空港に到着予定だと言うことを、走行中のラジオで聞いた。お天気もよい。到着時刻は、私のお好みのエアーフランスの到着時刻と近い。行くことにしたすでに、大型キャメラや、望遠鏡、を持つ人、管制塔とのやり取りを短波放送で聴く人、集まっている。12時半、専用機が到着する。
登場口は使わず、タラップを下ろして、車で10分のサンフランシスコに向かった。レセプション、基金デナーを終えて、一泊して、翌日早朝、ワシントンに帰って行った。
空港は約30分閉鎖されて、飛行機の発着は約30分止まっていた。エアーフランスも予定時間を過ぎて、パリから長い飛行を終えて到着した。
スマートなエアーフランスの機体は、いつものゲートに入った。
最後のハリーポッターを見てきました。批評A通り,よく出来ていました。3人の俳優達も成長しましたね。思い返せば、可愛い子供たちでした。10年間、良くがんばってきましたね。偉いですね。活躍を祈ります。そして、有難う。
昼夜、必死に福島原発事故復活に携わる皆様、有難うございます。エネジーバーの食料、風呂なし、トイレの水なし、過酷な現状の中で、使命感をしっかりと持って、働き続けていらっしゃると聞きます。ミスで起こったのではない、災害で起こった事故、あやまらなくても良いです。
出発の3日前、日本行きの延期を決めた。NHKの24時間緊急放送を見ながら、今回はボストンバッグの中身も殆ど空だった。息子が盛んに中止を勧める。先ず母に連絡をして、承認をとった後、航空会社にインターネットでキャンセルを問い合わせてみる。日本行きは今回は緊急事態に想定されていて、キャンセル可能である。シャトルバスもキャンセルをする。息子は安堵した。日本の友人達にも連絡をする。アメリカにいるほかの友人達の近辺にも日本行きのキャンセルが目立つらしい。私の降り立つ関空近辺は通常の生活状態が維持されているらしい。それでも空港で点検の為に黄色のテープで隔離されているゲートはアメリカ行きのゲートである。今回も帰国時このテープを見ることは確かなような気配になってきている。それにアメリカ入国時、射線値の鑑定だの、他の検査の可能性が高い。疲れて降り立つ帰国時にこれをやられるのはたまらない。母が特別な状態にあるなら、こんなことも気にはしない。だがいつもと変わらない帰国である。ゆっくりとしたい。そういうことで、今回初めて帰国の延期をすることになった。事態が静まれば、即出発可能である。
Sophia Gruitto (French Artist)
Sophie Gruitto パリの百貨店で見つけて一点を持ち帰りました.毎日眺めています。。。
Sophie Gruitto パリの百貨店で見つけて一点を持ち帰りました.毎日眺めています。。。