カリフォルニアからシニアー日誌 (Senior Dairy from California) 

北カリフォルニア州から、シニアーの
のんびり生活を、お届けします。

昼間の散歩道

2010-12-15 16:42:20 | 日記
朝は暗くて散歩にはよくない。昼間に歩いた。車で7-8分の会社パークを抜けると散歩道がある。NASSAが見えて、反対方向はサンフランシスコ湾の最終地点である

Googleの本拠地もある。広い敷地である。
今日は一週間前に比べて行きかうひとも自転車もうんと少なかった。雨に現れたわずかな草も青く、雲が空一面に広がる午後であった。約一時間の散歩で気分転換も図り帰路に着いた。ミルク紅茶で後の余韻を楽しむ。

いつまで生きるのか?

2010-12-14 21:32:52 | 日記
94歳になった母が言った。新しい日がやってくると、いつまで生きるのか?と思うと言う。85歳くらいの寿命で十分だと言う。
歩いている夢から覚めて、歩けない現実を知る。衰えて行くゴールに向かって歩いている。それでも不安はないという。
昔から先祖供養だけは欠かさない彼女だ。お寺参りで亡き家族とつながっている。彼女のゴールはそこにあるのだろう。

それでも彼女は毎日の習慣を守り続けている。感謝をして、エクササイズをして、誰にも頼らずに自分の生活を続けている。たいしたものだと思う。

私も最近まだ生きていると感じ始めた。今朝も目が覚めた。顔を洗って、お湯を沸かして、コーヒーを作り、コンピューターを軌道させ、テレビにスイッチを入れ。。。。最近は雨の朝が多いので、散歩は控えているが、今日の予定を確認して。。。朝食を食べ、風呂に入り、お好みの香水を振り、洗濯の利いた衣服に着替え、
結構、スケジュール道理に動いている。これが大切なのかもしれない。しなければいけないことではないけれど、毎日大体同じ事をしている。これは場所が変わっても、割と変わらない。こういうことで自分を支えているのかもしれない。

昔は有名になることも夢見ていた。声楽ができたから、舞台で歌うこともあった。それでもいつの間にかその夢も消えた。恋することにも憧れた。それは、ただ憧れであって、現実はそれほどでもなかった。マニュアルのない自分の人生。良く歩けたものだと思う。

いつまで生きるのか?
これからは、残りの人生。きちんと始末ができることを望む。

日本から帰った

2010-12-12 07:10:50 | 日記
今回はあまり疲れなかったはずだが、元の調子に戻るのに一週間かかった。年のせいかもしれない。

今回の旅は緩やかだった。母の足が弱って、スケジュールをキャンセルをすることが多かった。一駅の奈良駅にある日航ホテルのお昼のバイキングには二度行った。この程度がせいぜいの行動範囲の母になった。それでも関空では私の出迎えをしてくれて、いつものように空港敷地内のある日航ホテルでゆっくりと帰国の第一夜をすごして翌日自宅に帰った。

後のほとんどは自宅の近くの母のケアーホームで寝泊りをした。一部屋で彼女はベッドに私はコタツに入って寝た。お風呂は共同だが、きちんと一人ずつ入れるスケジュールがあって、結構明るく広い風呂場であった。食事は、栄養士のメニューで柔らかな老人食であった。一日三食、品数も多い。全部食べきるのに忙しかった。それで一日500円だ。

彼女のスケジュールは規則正しくやってみると結構忙しい。朝4時半に起きてベランダでエクササイズをして、洗濯機で洗濯をする。顔そりをして、ヨーグルトにレモン汁を絞り込んで飲む。6時45分には軽く化粧をして、着替えをする。7時前には3階から一階の階段をエクササイズで上り下りしてダイニングに下りる。食事がくると味噌汁を御椀に注ぐ役目を果たす。食事が終わると7時40分頃部屋に帰ってくる。此処で果物を食べる。欠かさないのがみかんとバナナである。少し仮眠をして10時半には、化粧、着替えをしてランチに降りる。1時半過ぎから、風呂に入る。4時半には同じ事をして夕食に降りる。8時までテレビを見たり、編み物をして過ごす。そして床に就く。

私も少しやってみた。ダイニングのお手伝いで13人位の住人に会った。皆さん可愛いお年寄りである。90歳の人が3-4人、102歳の人も居る。殆どの人は車椅子か歩行器を使っている。皆さんお元気である。

友人も遠路から母に会いに来てくれて一泊してくれた。昔からの友人で母も喜んで笑って話をした。

私も宝塚歌劇は友人といった。昔の職場の友人と神戸の奥のグループホームに住む元上司を見舞った。変わりように涙した。もうひとりの友人は今年リタイアーをするという。足が悪くなって、歩かせないように阪急梅田の改札口の側の喫茶店で話をした。

日本の紅葉は色の濃差が違う。雨上がりの興福寺境内にたたずむ桜の深い深紅の葉と銀杏のまばゆい黄色の葉を纏った木々には言葉を失って見上げずにはいられなかった。紅葉の落ち葉でうずめられた地面と長年の人々の信仰で覆われた世界遺産の建造物の佇まいは深い感動を呼び覚ます。その中を鹿がゆっくりと歩く。

トマトと柿、みかんがおいしかった。食通の家人が一緒でなかったので、おいしいものはさほど口にしなかった。友人が招待をしてくれた豆腐と湯葉専門の店のランチは楽しめた。宝塚のカレーと奈良の行き着けの店のお好み焼きはおいしかった。空港で買ったきんつばとオリジナルのきび団子は旅を思い出させる。

日本は優しい国である。近代化が進んで都市の様相は同じになってしまった。。世界遺産の法隆寺も家が景観をふさいでしまったが、奈良はまだ落着く。母のケアーホームの周りはまだ農園が多い。その中で育つ大根、にんじん畑を楽しんだ。手入れの利いた畑は生き生きとしている。生命の躍動である。

アメリカ娘が言うことにゃあ

2010-10-02 22:56:05 | 日記
アメリカ娘とは、現在フランスに暮らしている私の娘である。

昔、小さい頃に私に尋ねた。きつねうどんに入っているアゲの事を、"ママあのうどんの上に乗っているお座布団はなに?”
日本に行って困るのは、日本式トイレットだと言う。どうして使うのか分からないとか。分かった揚句、言う。白人の大きなお尻のおばさんは、座ったら立てないよ。
最近のウオシュレット。。。ボタンが多すぎて分からない。飛行機が上陸する前に、空港案内をする様に、ウオッシュレットの説明もするべきだと。
一度分からずにボタンを押したら、非常ボタンだったとかで、鳴らしたまま、逃げてきた。

アメリカについては。
自然でない、作られた社会、国。
食べ物も、人間も、住まいも、自然らしさが全くないとか。
自然をすべて、アートフィッシャル的に作り変えてしまう。
人間だって、自然の感情抜きにしてしまう。
いつも作り笑顔を湛えて、パーフェクトがる。そのほうが簡単で、問題が少なくて済むように終えがちだが、そこは人間、感情の処理はどこでするのか。
道理で、病気の多い国だ。

普段以上のことが起こると。

2010-10-01 23:03:17 | 日記
私は9年前の2001年9月10日、丁度ニューヨークのツインタワーがテロリストで倒壊されたという事件が起こる前日、右乳癌の手術をした。事件当日は病院のベッドでまだ麻酔が覚めない状態でテレビの画面をハリウッドの映画を見ているのかと錯覚をして居たことを思い出す。あれから9年いろいろな思い出生活をしてきた。死を真正面から直視しながら、勇気を持って幸せを積み上げる生活をしてきた。それでもあまりにもきつかった闘病生活はもう忘れたかった。過去のことと葬りたかった。だがその一面、癌の再発が起こることはいつも頭のどこかにきちんと座り続けて居た。4-5年前から右胸の一部の骨が隆起しているのを知って居た。痛みもない。医者に告げなければと思いながら、一年に2回の日本行きに支障が来ることを恐れて伏せていた。最近このままではいけないと言う思いが出てきた。二人の子供がきちんと確認をしているかと迫ってくる。いつまでも逃げることもできない思いが自分にも強くなってきた。
血圧やコレステロールの血圧検査の結果が出たことが医者から連絡があった。この機会に報告をすることにした。医者に申し出るとベルトコンベアーに乗せられて、いろんなことが自分の意思と関係なくことが進められる。大体に支配されるのが嫌いな人間である。年のせいでますます強くなってきた。少し葛藤はあったが、この際は医者と仲よくしなければいけないと決めた。不思議なもので次第に恐怖感が少なくなってきている。先の見えない状態がいちばん恐怖感を増大させる。結構忙しい。アポイントメントの取り付け、前の医者からのレコードの取り寄せと一日がめまぐるしい。それに又薬の保険を買わなくては成らない。アメリカは何事も自分でしなければならない.メデイケアーを受けることになったが、十分の支払いをしてくれない。毎月110ドルは引かれているのに、目も歯も薬もカバーはしないし、探し回った揚句、毎月140ドルを払う予備の保険も買った。薬は避けることはできない。今保険を探し中である。そんなことで、一日があっという間に過ぎる。生活もゆっくりとするようにしているが、こういうことが起こるとペースがくるってっくる。大嫌いなことである。そこで、自分へのご褒美も奮発をする。現在のご褒美は飛行機を眺めに行くことである。これも慣れてきたので、双眼鏡やビデオカメラの構え方も上達した。昨日は一つ付け加えた。娘が教えてくれた。レストランに行った。目指すエアーフランスも着陸した。ゆっくりと食事ができる。レストランは滑走路に平行しているので、またまた双眼鏡やビデオカメラを構えた。丁度サンフランシスコジャイアンツの試合をテレビで放映していた。お陰でホームランを二つ見た。ジャイアンツは今主位である。そうしているうち、エアーフランスが2時間半の休憩をしてフランスに帰る時間が来ているのを思い出した。これはもうけたとレストランを跡にしてもとの場所に戻って又ビデオを撮った。これで到着、発着の両方を見た。大満足である。岐路に向かったとき、腹痛がやってきた。急遽フリーウエーを降りてガスステーションを見つけて用を足した。おまけが付いた。お陰で自分に起こっている事態もそれほどでもなかった。要するに感情が支配をする。何かに集中していれば、心は支配されることが軽減させられる。座っていて恐怖感を深めてはいけない。帰ってビデオの整理をしていたら、フランスの娘からスカイプの要請があった。ビデオ会話を一時間以上した。結構両方で心の整理もした。良かった。

D-day メモリアル

2010-09-29 20:30:36 | 日記
フランス滞在中,北フランスに行きました。
ノーマンデイーに行きました。何があったのか、ご紹介をします。現地はそのまま保存されていました。アメリカ兵7000名が眠る墓地にも行きました。アメリカ流に整然と絶え間なく手入れがされているのを目にしました。家族が訪れても、満足のいく供養の仕方だと思いました。涙が出ました。ピクチャーとビデオでご紹介をします。ビデオやピクチャーはたくさん私の本来のブログに掲載されています。どうぞ。

Introduction

A landing craft loaded with soldiers heads for the Normandy coast. Many soldiers got seasick from the rough ride across the English Channel. (Reproduced by permission of Corbis/The Mariner's Museum)

American soldiers leaving the ramp of a coast guard landing boat during the invasion of Normandy. (Photograph by Robert F. Sergeant. Reproduced by permission of the National Archives and Records Administration)
D-Day is the name given to the landing of 160,000 Allied troops in Normandy, France, on June 6, 1944. The success of the invasion of Normandy was really the beginning of the end for Nazi Germany. The invasion, also called “Operation Overlord,” involved five separate landings by American, British, and Canadian troops and was commanded by American General Dwight D. Eisenhower. Stiff German resistance resulted in nearly 10,000 Allied casualties, but the Germans were ultimately unable to repel the Allied forces. Although German resistance continued even after all five beachheads were taken, they had too few troops in the area to be effective. By August 1944, all of Northern France was under Allied control as Eisenhower began to prepare for the invasion of Germany.
Essential Facts
Many scholars have tried to explain the term “D-Day,” suggesting it stood for “decision day” or “disembarkation day,” but most likely it comes from the army’s use of the term to mean an “undefined day,” or the first day of any operation.
D-Day was originally scheduled for June 5, but the weather did not cooperate. The operation was pushed back to June 6, 1944.
The D-Day invasion involved 5,000 ships carrying men and vehicles across the English Channel as well as 800 planes dropping over 13,000 men in parachutes. A further 300 planes dropped bombs on German troops defending the beaches. Over 100,000 Allied troops made it to shore that day.
The most difficult landing of D-Day was at Omaha beach. Navigation problems resulted in many men drowning before they reached land. Omaha Beach also had the largest amount of German troops, and the fighting was fierce. It is the Omaha Beach battle that is reenacted in the opening of the movie Saving Private Ryan.
The success of D-Day was a death knell for the Germans. Hitler was forced to fight a two-front war against the Russians on the East and the Americans, British, Canadians, and French on the West. Within a year, Hitler committed suicide, and the war was over.

Tags: my town your toun, 貴方の町、私の町便りの部屋

山のあなたに幸せはない

2010-09-27 17:31:45 | 日記
カール・ブッセの詩「やまのあなた」(上田敏 訳)「やまのあなたのそらとおく『さいわい』すむとひとのいう。ああ、われひとととめゆきて、なみださしぐみ、かえりきぬ。やまのあなたのそらとおく『さいわい』すむとひとのいう

私たちは、ある年齢になれば悟らなければなりません。
幸せは山のあなたにあるのではなく、自分の中にあるのだと。
自分で処理できない物があるとき、逃げる場所なのなのかもしれません。
それは一時的であって、自分で解決しなければ、又同じ場所に立っていることに気がつきます。
何故処理できないのか、自分を冷静に分析してみなければなりません。
一度その解決策が見つかれば、私たちは同じことは繰り返さないものです。
それは、自分でやらなければならないことで、人がやってくれるものではありません。自分の幸せは自分で見つける。どんな些細なことでも幸せだと感じれれば、それはたいしたものなのです。

不思議! つくり笑みで気分が変わります。。。

2010-09-27 09:03:10 | 日記
口角を少し上げてみてください。。笑みを浮かべた表情に変わります。。。
不思議。。。気分も変わるのです。。。

フランスに行った時、ふと娘がひとりのお父さんを見つけました。子供のそばにいる彼がじっと微笑みを浮かべているのです。"良いねえ"。娘が言いました。
穏やかそうで、良い感じが漂っていました。

私も試してみました。これも習慣になります。思い出したら、口角を上げる様にします。気分が優しくなるのが分かります。続けてみよう。。。。

サンフランシスコ空港滑走路の対岸から、飛行機の発着を眺めた。

2010-09-23 09:20:14 | 日記
昨日は久しぶりに快晴。思いついたのは飛行機の発着を眺めること。25分ドライブしてサンフランシスコの滑走路の対岸に出向いてみた。丁度バイクと遊歩道が共有できる特等席。近所にはホテルや機内食の会社や、レンタカーの会社などがある。目的の飛行機は、エアーフランスだった。娘から遅れることが多いと聞いて居たが、到着の20分前に着いた。すでに国内、国外に向かう飛行機や、到着の飛行機がひっきりなしに行き交う。気付いたのは、折角持参したビデオカメラのバッテリーが完全に充電切れして居た。洗面上で用を足したくなって、ホテルに行った。出てきたのは12時40分。エアーフランスの到着は12時50分である。真っ白な機体に赤のテール、懐かしい日航機である。大きな機体を緩やかに空に浮かせて太平洋に向かって消えていた。KLLも到着した。
何機も到着する。しかし1時間経ってもエアーフランスの白い機体は現れない。一時間半経ったところで、空腹を感じた。どこかのレストランに行こうかと考えたが、このまま帰ってしまうのも惜しい気がする。フランスに向かって飛行機が発つのは3時半。遊歩道の脇にあるホテルに行った。丁度スターバックスがある。適当にコーヒーとケーキ様のものを買って、もう一度ゆっくりと飛行機を眺めることにした。突如、遠方の海の上に降下しながら来る飛行機がある。エアーフランスのスマートな姿が現れた。双眼鏡で姿を追う。着陸をしてエンジンの音を響かせてゲートに入っていく。しっかりと満足がいくまで眺め続けた。2時5分の到着であった。家に帰って判明したのは、この日は何機がパリからやってくる。この日の私の予定していた12時50分着は、私がホテルには行って居た間に到着をして居たようである。同じ時間にパリを出発した一便はアメリカ国内のどこかの飛行場に途中着陸をしてサンフランシスコに1時間後に着いたようである。とに
角見ることができた。それにしても疲れた。

近所の新住人

2010-09-21 02:24:05 | 日記

新しい住人が越してきた。一週間以上前に、フレンドリーにドアを叩いた。タバコを貸して欲しいと申し出てきた。家人が1箱貸した。申し訳はするがタバコはまだ帰ってこない。昨日またフレンドリーに挨拶に来た。だがタバコを欲しいと言う。一本渡した。食事を作っているので、できたら持ってくると言う。一時間経ってやってきた。食事はあと30分かかると言う。いらないと断った。タバコを一本欲しいと言う。この度はもうないと言って断った。今度来たら、もうこういうことはやめようと言おうと決めている。お互いの為にこういう付き合いはよくはない


男性の女性への依存意識

2010-09-02 04:10:32 | 日記
男性の女性依存傾向を見ることが多い。すべてが高年齢者である。中には当たり前の感覚が増大していて、女性が身動きの取れない状態もある。まあ長い間の生活習慣の中で形成されたもので、女性側に問題があるのも当然。女性が何もかも責任を負って、男性を神棚に供えた結果であることも多い。教育が悪かったのである。その中で女性の負担が多くなって、文句が多くなる。文句を言う前に、その状態を分析して、解決策を講じることも女性の特権である。解決策を運用して、男性を教育するということも面白いことである。

その1、ボランテアー的行動は断じてしない。先ず男性に考えさせて、自分でできるようにさせる。何事も自分の考案でするのは、面白いものである。

その2.賢さを見せないで、男性にリーダーを任せる。と言っても見えないところで舵はとる。サポータの役目で、常に内容を吟味して助言を与えて支える。

その3.男性を褒める。決してプライドを剥ぎ取らない。

その4.余分な自分は秘密にしておく。あからさまに自分は見せない。

朝の散歩は新しい一日の始まり

2010-09-02 03:42:58 | 日記
朝の静寂のなかで、小鳥の声を聴き、そよ風の流れを感じ、また木々の変化を見ながら歩くと、今日も新しい一日の始まりを認識します。毎日自分の中の心の変化も感じます。真新しい一日。昨日までの重たい足取りを脱ぎ捨てて、軽やかに歩くことも自分次第なのです。朝の散歩は短い旅、新しいエネルギーを与えられて、今日も大切に時を刻むことも自分次第。。。

サンフランシスコはスーパートラッフィック

2010-05-31 17:04:24 | 日記
結局は、市内に入って渋滞と信号で普通10分もかからない距離が一時間10分もかかりました。結局は途中で諦めて、市内を後にして帰宅しました。ジャイアンツの試合はありましたが、それ以外に何があったのか?まあ日照時間も長くなり、今日の休日もあって人々も出かけたのかもしれません。とに角どこの都市も例外はなく、交通渋滞と駐車場の問題があります。サンフランシスコの道路わきの駐車は、25セントで約2-3分です。大変な金貨を持参をしなければなりません。私は最近は列車を利用します。友達に車で迎えに来てもらうか、市内バスを利用をします。

やっときました天気の良い日が

2010-05-30 22:07:20 | 日記
6月も近くなって、やっと良いお天気の日がやってきました。長かった悪天候の日々。寒かったり、雨だったり。もう4月にはすっかり衣替えをしたクロゼットから、もそもそと厚めのジャケットを出したり、靴さえも交換をしたりで落ち着かない日々でした。今朝6時現在、青空です。まあ、朝は大体天候が良くても日中には変化をしていくのが常ですから、また変わるかもしれません。今日は久しぶりでサンフランシスコまでドライブをして、ゴールデンブリッジを渡ってくる予定です。