
2月9日
昨日はお葬式で一日がつぶれ
日曜日に遠くまで行くのは気が進まなく
近場で遊んで来ました
スキーブーツで雪上歩行は無理
そこにスパーカンジキを装着
これで歩ける


風が無いと暑い

でも
時々強風が~

一気に冷え冷え

双子山に近づいた

双子山山頂より滑降
コンディションはガリガリ(笑)

途中で見つけた慰霊碑

春は近づない事にしよ
1972年(昭和47年)3月20日
日本山岳史上、一般の登山者による最大の大量遭難が、それも日本のシンボル富士山で 起きた。
その日山陰沖で、午前3時頃から台風並みに急速に発達した低気圧が、 日本海を北東方向に進み、この低気圧に向かって強い南風が吹き込むという典型的な“春一 番”が全国的に吹き荒れた。特に富士山では19日夜半から横殴りの冷たい雨が降り、翌日 も前夜からの雨が降り止まず、午後になると風速31~35m/秒の猛烈な風雨となり、瞬間 風速50m/秒という突風が吹いたという。
そのため雨に対する装備がほとんど無 かった遭難者の濡れた身体の体感温度は、マイナス30~40度になったと推定され、体力を 急速に奪われた。
遭難した静岡頂山山岳会の9人は、ビバーク(野宿)していたが 防水の装備がなかったためびしょ濡れになり、朝方下山したが、激しい雨に打たれ7人が睡 眠不足と疲労で凍死した。清水勤労者山岳会の11人は、風雨の合間を見て単独登山者とと もに下山したが、午後になり強い風雨のため7人が衰弱して死亡、5人が雪崩に襲われてば らばらになり1人がようやく御殿場署にたどり着いた。そのほか6人が行方不明となったが 雪崩による死亡と断定されている。当時55人が登山中でそのうち半数近い24人が死亡・行 方不明となった。(出典:宮澤清治著「日本気象災害史」、さんきのつぶやきNo.169「突風・富士山大量遭難」ほか)
日本山岳史上、一般の登山者による最大の大量遭難が、それも日本のシンボル富士山で 起きた。
その日山陰沖で、午前3時頃から台風並みに急速に発達した低気圧が、 日本海を北東方向に進み、この低気圧に向かって強い南風が吹き込むという典型的な“春一 番”が全国的に吹き荒れた。特に富士山では19日夜半から横殴りの冷たい雨が降り、翌日 も前夜からの雨が降り止まず、午後になると風速31~35m/秒の猛烈な風雨となり、瞬間 風速50m/秒という突風が吹いたという。
そのため雨に対する装備がほとんど無 かった遭難者の濡れた身体の体感温度は、マイナス30~40度になったと推定され、体力を 急速に奪われた。
遭難した静岡頂山山岳会の9人は、ビバーク(野宿)していたが 防水の装備がなかったためびしょ濡れになり、朝方下山したが、激しい雨に打たれ7人が睡 眠不足と疲労で凍死した。清水勤労者山岳会の11人は、風雨の合間を見て単独登山者とと もに下山したが、午後になり強い風雨のため7人が衰弱して死亡、5人が雪崩に襲われてば らばらになり1人がようやく御殿場署にたどり着いた。そのほか6人が行方不明となったが 雪崩による死亡と断定されている。当時55人が登山中でそのうち半数近い24人が死亡・行 方不明となった。(出典:宮澤清治著「日本気象災害史」、さんきのつぶやきNo.169「突風・富士山大量遭難」ほか)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます