筑井孝子の毎日日記

絵を描き 教え 頑張る毎日

考察 「メディチ家」。。。5

2016-02-19 08:57:34 | 日記
今日は結論だ。。


いつもいろいろ考えている

そして

どうしたらいいのか?と

絵なんかももっともっと上手い人がいる
だからそんな人にも負けないように
どうしたらいいのかを常に考える

そうでなけれは絵で食べていけないから




絵は「県立土屋文明文学館」

ほとんどの人が行ったことなんかないかもしれない

「土屋文明ってだれ?」って人のために
すこし


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群馬県群馬郡上郊村(現・高崎市)の農家に生まれる。幼少期に伯父に俳句を教わり、旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)在学中から蛇床子の筆名で俳句や短歌を『ホトトギス』に投稿。卒業後に恩師・村上成之の紹介により伊藤左千夫を頼って上京し、短歌の指導を受け『アララギ』に参加。更に左千夫の好意により、第一高等学校文科を経て東京帝国大学(現・東京大学)に進学。東大在学中には芥川龍之介・久米正雄らと第三次『新思潮』の同人に加わり、井出説太郎の筆名で小説・戯曲を書いた。1916年(大正5年)に文学部哲学科(心理学専攻)卒業。
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やっぱ 「東大」か「芸大」だね。

わたしはもう出遅れている
でも

あがいて。。底辺でもがんばりたい。

群大ではなにもできないね。

で。。



これが
家系図。。

で。。

調べたいから
実は本を今購入してしまった。

もっと知りたくなったからね。

で。。

最後の人がここを残したいって言ってくれたから
今わたしたちが見れるんだね。

わたしの教室はランクは違うけど。
生徒に「こんなものあるんだ」って驚かせたいから
いろいろ見せている




メディチ家の家の前の壁は「大理石」ではなく民間の人と同じです



イタリアから帰ってきて
けんちゃんと付き合いはじめて
うれしくて仕方なかったわたしは
何をあげるのでもなく
この絵をあげました。


いまも家のリビングにあります。

けんちゃんの家に行って
戻ってきたのです。。


結論ですがボッティチェッリはメディチ家のおかげで絵描きとして生活できた

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サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445年3月1日? - 1510年5月17日)は、ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi) といい、ボッティチェッリは兄が太っていたことから付いた「小さな樽」という意味のあだ名である。ボッティチェルリ、ボッティチェリ、ボティチェリ、ボティチェッリなどと表記されることもある。
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もし「メディチ家」がいなかったら絵描きとして
わたしが知ることはなかったろうな。

で。。

わたしが今絵描きとして生き
そうしてこのアトリエがあるのは

「あかち家」のおかげだ。。

これはわかる人しかわからないだろうけど。


来週からは「母」の考察をしていこうと
今は思ってる

私のルーツだ

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