筑井孝子の毎日日記

絵を描き 教え 頑張る毎日

星野富弘さんとのこと。。

2019-08-02 10:16:07 | 星野富弘さん
新しい本ができました

前橋の本です。

そんななか
お金がたまったら

次の本は富弘さんのことを書こうとおもっています。
====================

わたしは20歳の時富弘さんの初めての個展に行きました。

そのときのことが全国の道徳の教科書に出ています。


その時のことや
富弘さんとの一緒にいた2年に会った人々のこと

書いてきたいです


今日はその時の一番のこころに残っっていることを
書きます

=======================

M君

私が富弘さんのところの病院に行っている時
富弘さんは6人部屋の一番奥でした

富弘さんのところに行くとき
みんなのベットに挨拶をします

わたしは二十歳でしたので
まだかわいくて
まだ痩せていましたからそして明るい子だったので
みんな私の挨拶を楽しみにしている人ばかりでした

星野さんは首の骨を折ったので「外科」にいたのかもしれないです
それて骨折しているひと
骨の異常な人そして骨肉腫の人が居たように思います。


そんな中M君もいました。M君は高校卒業してすぐ道路で白い線を引く仕事をしてると言っていました

M君はもちろんですが彼のおかあさんもわたしに良く話しかけてくれました。

彼は骨肉腫で足を切除しなくてはいけないことを話してくれました

若い高校を卒業したばかりの好青年でした。

ある日富弘さんのところに行くとお客様が来ていたので
わたしは少し待つことにしました。

すると彼が言うのです。
「たかちゃん!」と声をかけました

富弘さんがわたしのことを「たかちゃん」と呼んでいたので
みんながそう呼んでいました。


「ちょっと談話室のほうで話せるかな?」

わたしは富弘さんのお客様が待っているの気にしてはいけないかと

二人だけになるのはちょっとためらったのですが
ついてきました。

二十歳の私と19歳の彼としばらく勝手な話をしていました。

彼は

「僕は勤めに入ったとき保険をすごい勧められて
それでこんな若いのに入ることは。。っておもったんだけど
骨肉腫になったとき
あまり親孝行もできなかったからこうして保険に入ってよかったなって思うんだよ」と話を続けていました。

物静かで病棟でも他のおじさんがたくさん話すのに
なにも話さなかった彼はなんでもどんどん話していきます。

そしてしばらくすると言葉が止まりました。

彼は「頼みがあるんだ」というのです

「僕は男子高校をでてそれで就職して病気になった
今まで『恋』もしたこともない それに『キス』もしたことがない

それでたかちゃんにお願いなんだ。。。」

しばらく意味が分からなかったのは
私のまだ若い清純のあおもいがあったからかもしれないです

わかいってことが「そんなことはできない」って


わたしは彼の想いもないがしろにしてはいけないとおもい
意地悪に「なんていうことをいうの??!!」ということもなく

その場から病棟にもどりました

次の日も何もなかったように富弘さんのところに行くと
彼は病室にいないのです

「あれ??M君は?」と聞くと

「今日は手術でもう別の部屋なんだよ」と
みんなが教えてくれます。


わたしは何の気なしに
手術が終えたら病室に戻るとおもっていました。

一週間がすぎ

いつものように病棟に行くと50歳くらいの女の人がたっています。

「きっとあなたがいると思ってきました。」と

女の人の目から涙がこぼれました。

彼女はM君のお母さんであることは病室で何回もあっているので
すぐわかりましたが

「息子亡くなりました。そして息子がどうしてもタカちゃんに謝ってくれというのです。
わたしにはわからないのですが、息子は最後までタカちゃんに俺ひどいことしたんだよっていうんですよ」って

わたしはすぐ「一度でいいから女の子とキスをしたい」と言っていた彼の言葉だとわかりました

でもお母さんにそんなこと言えるわけでもないです。


お母さんは亡くなった息子さんがもう病院に入院していないので
病院に来る必要はなかったのでしょう
でも息子さんの頼みでわたしに会いに来てくれたのです。

今のわたしなら
「はーーーーいちゅ。。」ってできるかもしれないですが。。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿