先週の親の会は、新しい方お一人がいらっしゃいました。
お時間が短い間でしたが、少しお気持ちを話されて、少しだけ楽になっていただけたでしょうか。
今月は亡くなられた方のご姉妹の人ともお話をさせていただきました。
親とはまた違う感情や苦しみもあり、心配もあり、そうした中でお目にかかれてお話しできたことにも感謝いたします。
いろいろなつながりを子どもたちは持っていってほしいと願っているのでしょうね。
会の始まる前、私たちは普通に雑談して笑ってもいます。
笑っている、ということで、誤解が生じることもあります。
やっぱりここでも私は泣いてはいけないのかな?
やっぱりここにも私を分かってくれる人はいないのかな?
やっぱりここも私の居場所ではないのかな?
普段の日常生活で「笑う」のと、会の中で「笑う」のとは、ちょっと違いがあるのです。
日常生活ではどうしても悲しみ・辛さ・苦しみを隠しながら押さえながら笑うという行為になりやすいのです。
でも、会ではその悲しみ・辛さ・苦しみを心に持っていることを知っている、深いところで共感しあえる、その前提があって笑っているのが大きな違いです。
一見、同じ「笑う」行為ですが、自己紹介が始まると途端に涙が溢れてくる人も多く、それを分かりあっているから、素のままで「笑う」ということになるのです。
悲しみとが無くなるわけでもなく、辛さが無くなるわけでもなく、苦しみが無くなるわけでもなく、それを抱えながら生きることをしている感じです。
年数を過ごすということは、、、こんな感じでしょうか。
それを自分の中に収めていけるエネルギーがあるようになること。
それと同時に喜びも感じられるようになること。
そのバランスを取ることができるようになること。
自分にそれを許すことができること。
それでも「笑う」ということに、とっても大きな抵抗があると思います。
それはそれで「今は笑えない」という自分を大切にしてあげてください。
同時に「笑っている」という自分も大切にしてあげてください。
どんな自分も自分なのですから、一番自分を大切にできるのは自分自身なのですから。
今月もありがとうございました。
5月のお知らせとお願いです。
5月17日(日)10~12時 第2和室にて (午後は通常の親の会です)
貸出図書のカバー付や整理をお手伝いいただけないでしょうか。
約50冊ほどになっていますが、本の痛みが少ないようにカバーを付け、番号シールが取れないように確認する作業です。
お手伝いできる方は、私までお知らせください。
よろしくお願いいたします。
もちろん、ご連絡無しでも当日可能であればぜひお願いいたします。