皆さま、こんばんは。
子どもを亡くした親の会「心のままに月の光の会」と「セラピールーム光のささやき」を主宰しています荒川淳子です。
この出だしに変えます宣言をして、即、次の日記に書き忘れました
チーン
ダメダメ淳子の反省をして、本当に反省をしていても、またドジをやるんですけどね。
もう恥ずかしい、内容もいろいろ書き直したくなる恥ずかしさに駆られながら、いえ、これも私ね、と認めて、今日の日記を書くことにしました。
どこにでも自分を内観するプロセスは転がっていますね
LPLアドバンス研修会 ~ LPL式コンステレーション「家族の座」「会社の座」~ に参加して
私の中にあるこの下の層です。
一番上の層は、眠くて眠くて仕方ない「あ~もったいない。あ~残念。こんなことではダメでしょ。」というものでした。
眠くなれない時は2回と書きましたが、実はそうではありませんでした。
代役として立たせていただいた時などは、眠っていることもなく、その場に居たわけです。
ただ私の中の印象としてかなり眠いことだけが強烈でした
代役は不思議とその人となりになって、感情や思いを表現できます。
私は、社会的弱者の方の体験をさせていただきました。
それはやはり、辛さも苦しさもあり、自分ではなんともできない歯がゆさもあり、身体の痛みや、心の痛みや、そして孤独感もありました。
とても強烈でした。
とても切ないものでした。
それがフッと解き放たれた時、身体の柔らかさや心の軽さを感じました。
少し不謹慎かもしれませんが、魂が解放されるってこんな感じかなぁという思いがありました。
肉体を持っているって本当に修行だと、なぜか感じました。
そして、私から出たのは「やっと生まれてきてくれた。やっと、やっと生まれてきてくれた。この時を待っていた、待っていた。社会に発信していける、発信して。」という言葉でした。
相手の方のど真ん中に響いたことが伝わってきました。
私は新しい体験をさせていただきました。
あたたかな感謝があふれてきました。
本当にありがとうございました。
亡くなった方のお役でしたが、そうして今も生きている人たちを見守って応援してくださっているのですね。
普通にあることが普通ではない、普通って一体なんだろう?という感覚です。
やはりその立場にならないと分からないことは多くあり、それに真摯に向き合えたらと思います。
そして、人間って傲慢だなぁと、そんなことも感じました。
私の中にも確かにある傲慢さ、気を付けていきたいです。
普通神話が、無理解を生み出すこと、みつほが亡くなった時、嫌というほど感じたのに、他の場面ではそれを感じにくくなります。
人間である以上仕方ないけれど、何度も何度も繰り返し気づきの時をいただけることをありがたく思っています。
そして、代役ではありませんが、亡くなった方のご兄弟の悲しみを感じさせていただきました。
それは、みつほの兄たちの悲しみであり、苦しさであったこと、今だから、このタイミングだから、私は受け入れることができたのでしょう。
9年という時を経て、少しずつ少しずつ融かされていった氷のように、私の心の奥へ深く染み込んでいくタイミングでした。
本当に子どもを亡くした親は、
亡くした子のことだけが自分の心を占めていて、
残された我が子たちも愛しているのに、
それでも、自分を保つことだけで、自分が息をすることだけで、
必至であり、精一杯であり、余裕がないのです。
残された我が子たちには、本当にごめんなさい、です。
でも、どうしようもなく、どうしようもなく、余裕がないのです。
辛く切ないことです。。。
余裕ができたら、謝って、そして、たくさん愛してあげよう、私にとって、それができることの最善だと、今は感じます。
また数年後には違う感覚の中にいるかもしれませんが。。。
夫婦の愛、親子の愛、親しい間柄だからこそ、愛しい相手だからこそ、絡まってしまいます。
気づいた時が、次の一歩へのターニングポイント、すべては自由な選択からの道です。
自分でも気づかない無意識の世界、そこに現れてくる魂の愛と豊かさ、奥底に響くあれこれを体験させていただきました。
ありがとうございました。