私の父は養子縁組みで婿入り
した
父の実家の内田家(祖父の家)
には跡継ぎが無く、祖父は娶
り子娶り嫁で内田家に入った
その祖父の実家(松尾家)は狗
留孫山(山口県むく路子)の麓
にある
祖父は第2次大戦中に釜山に
渡り、塩の卸販売をして生計
を立てていた
祖父には7人(一女六男で、父
は四男)の子があり、戦後引
きあげて農業で子供を育てた
父は商売がしたかったようだ
ったが、私の家(農家)に養子
婿入りして私が生まれた
今回はこの祖父の実家「松尾
家」です
私のY染色体のルーツになる
のだと思います
今回の話は、「ふるさとのこ
ぼれ話」にありました
当本は、地元の識者が後世に
残そうと仕上げたもので、
素人さも有るが、リアルな
こぼれ話が拾ってある
本の中に登場する爺さんが
祖父です
創作の話にしてはリアルなの
で、松尾家に代々語り継がれ
てきた本当の話のようです
松尾家に古文書?
「蚊除大師記録」
なるものがあるようです
この「蚊除大師」こそ
弘法大師=空海 です
厳密には、空海の身代像
です
爺さん(祖父)は、「内田家に
入るまでは蚊に刺されたこ
とが無い」と言っています
空海さんに「封蚊のまじな
い」をかけてもらったそう
です
ことの行きさつは、
空海が中国から帰るとき、
狗留孫山に光を見たそう
で、調べたところ、観音
さんが光っていた
空海さんは「拝め」と感じ、
上陸後、狗留孫山麓の松尾
家から一晩中寝ずに観音を
拝んだ
そして、観音を永久に見護る
ため自らの像(大師像)を観音
の傍に置いて帰京する
時代は385年過ぎ、
唐から帰国した栄西禅師が
狗留孫山の観音を拝んだと
ころのお告げに従って寺を
建てた
禅師のお供の一信者が、
参拝者に便利なようにと
松尾家の位置に宿舎を建て
て世話をした
或晩に、信者は夢の中で
空海のお告げを受ける
「大師像を山から松尾家に
移せ」と、
信者がお告げに従い
大師像を松尾家に祀ると
以後、松尾の家の中に蚊は
一匹も入らなくなる
これが爺さんの言う
「家の中で蚊に刺されたこと
が無い」です
空海さんの松尾家へのお礼
でした
「蚊の居ない家」の話
いかがでしたか?
今日もお読み頂き
ありがとうございます
魚山」・葦嶽山・生誕之浦
ライン
上森説で空海の墓とされる「真魚山」を通るレイライン
を新たに見つけた!
上記の「須玖岡本~誕生之
浦」ラインである
これは何でしょうか?
お分かりの方有りましたら
是非コメント頂きたいです
一位ヶ岳・真魚山・両子山
トライアングル(二等辺三角
形・青マーカー)に関連して、
一位ヶ岳・多良岳・トンカラ
リン・押戸石ノ丘 トライア
ングル(直角三角形・黄マー
カー)を見つけた!
これも、お願いします
あと、月山(山形県・この前
台風が通過)と一位ヶ岳もラ
インで繋がったのです
※(写真)直線上になる計算
そのラインは、
川島神社・一位ヶ岳・三瓶
山・「月山」・五葉山
ライン
更に、偶然に思えない面白
いことがあります
川島の「川」→横にすると
「三」、
月山の「月」→横にすると
ほぼ「四」、
一位ヶ岳、三瓶山、五葉山
は、
「一、三、五」です
数字が並びます
しかも、一位~三瓶と月山~
五葉は等距離にあるのです
いかがでしょうか
取り急ぎ記事にしました
※上森様にコメントのお礼を
この場を借りて申し上げます
今日もお読み頂き
ありがとう
ございます
何と、「方位石(印石)」が湯の 華観音にもあったのだ!
観音堂と方位石を結ぶ先に
堂守家がある
これは、湯の華観音(塚)と
堂守家に強い関係性がある
ことを標すと考えたほうが
自然だろう
あれだけ見慣れた観音堂だ
が(最近、一つ石垣からはみ
出した石があるな~と思っ
たことはあったが)その石が
わざとはみ出させてあると
は!
観音堂の方位石に気付いた
のは、研究の過程で「米神
山・ 月の神谷、日の神谷」
の方位石が、特定の場所を
指すとすする説があるから
である
湯の華観音には、
未だ秘められた事実が
埋もれている
ようである
湯の華観音
山口県下関市豊田町
大字一の俣字観音寺