久ぶりで開いてみると、
思いのほか毎日たくさんの方々がアクセスして下さって・・・ありがたく思います。
3ワンコと1にゃんこ、変わりなく元気ですよ。
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先日、長女が亡くなりました。
産まれてすぐに重症の黄疸になり、生後5日目から3回交換輸血しました。
でも、回復したときはすでに遅く、重度の後遺症が残ってしまい、
歩くことも、立つことも、座ることさえ出来なくって・・・
小さいころは
自分の思い通りにならないと癇癪を起して泣いてばかりでした。
わずかに、左の足指が動くので、イエス・ノーのサインや字や絵を描いたり、音声変換器で会話したりしていました。
感情が豊かで、好き嫌いもはっきりしていて・・・
抱いたり、頬摺りするとイヤーな顔をするので、
「お母ちゃんのこと好き?」と聞くと
笑いながら
「ノー!」のサインしてくれました。(最近はなぜかずっと「ハイ!」でしたが )
18歳より療護施設のお世話になっていましたが、
毎週、土曜日に帰宅して火曜日の行く、というパターンで約7年。
それ以降は連れ合いの仕事の都合で、月曜日の夕食後に送ってゆきました。
3月12日月曜日夜、いつものように手を振ると笑いながら左足でバイバイしてくれました。
最後の別れだった・・・・
肺水腫とのことでした。
ああしてやればよかった、こうしてやればよかった・・と
思いも悔いもいっぱいあります。
「おかあさん もっともっと頑張れたよ。 あんたの世話できたよ!
まだ行かんでもよかったのに・・・・・。
これからどうして生きていけばええんや、教えて・・・」
37歳6か月の生涯
娘が生甲斐でした。
連れ合いと私に、弟妹に、そして周りの人たちにも、
数えきれない位たくさんの 目に見えない贈り物を残して逝きました。
ずっと娘の世話をすることが天から与えられた使命のようにも感じていました。
ずっと温もりを感じていました。
・・・
最後に、娘がこの世に生きていた証しを見てやってください。
左の足指に筆を持って描きました。
タイトルは左から、 「心」 「無」 「おと」 「無題1」 「無題2」 です。
今年、娘が送迎の車窓から18回見た満開の桜を
19回目、連れ合いと二人で見ます。(所用があって通過するだけなのですが)
とても冷静に見ることは出来ない・・・・・・・・・。