Cube3で走るオーストラリアの旅2012

シドニー、メルボルン、アデレードそしてタスマニアを訪れ、夫婦のんびり旅行のエピソードや楽しみ方を伝えたいと思います。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012

2012年09月06日 | 旅行
Cube3で走るオーストラリアの旅2012   Swan Rockは次回までのおあずけ。
3月4日(日)
今日は快晴。5日間の雨がやっと終わり、昨日の夕陽は久しぶりに空を染め、山の緑は一層の輝きを増していた。今朝は、陽射しも強くドライブにはピッタリの天候である。今夜が今回の旅行の最後のステイになるかもしれない。Narrabiの町に着き、Infoを訪れ、Swan Rockのドライブルートを確認したかった。Infoの中は、案の定、Swan Rockの写真がいたるところに掛けられていた。係の女性に、ルートをたずねると彼女はすまなそうに私達に話し出した。私達に伝えたのは、この期間の長雨でRockまでのルートは閉鎖されている。そして、通行可能は3月30日以降だそうだ。私達は、このRockを見る為に、このルートを選択したのであるが残念なことに写真でしかみることができなくなってしまった。
係の女性は、残念がっている私達を見て、「とても綺麗な景色が見る事が出来るルートを紹介しましょう」と言ってくれた。そしてCube3はその道を通りBingaraにむけて走り出した。ドライブの途中にSwan Rockの標識があり、その方向を示していたがやはり道路は急に狭くなり通行するには難しそうであった。案内された道路は水を充分含んだ緑の木々の間を走り抜ける。窓を開けるとヒンヤリしたオゾンが満タンの空気が車内に流れてきた。緑の林から突き抜けたような岩山が見える。そして、今回の旅行で気がついた事は、雲の美しさがある。あまり日常では雲を見つめる事は少ないがガラス越しに見える青い空と白い雲は見ていても飽きる事がなかった。
今夜の宿泊はTeterfieldである。Gold Coastまでは270kmに位置する。明日は27日ぶりのHomeとなる。しかし、最後の夜だと言うのに星は雲に隠れ、月がたまに顔を出す。
今日のCube 3の走行距離は544’5km


Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 資源国Australiaの形が見えるNew Castle

2012年09月05日 | 日記
Cube3で走るオーストラリアの旅2012   資源国Australiaの形が見えるNew Castle

3月3日(土)
起床は8時。天候は曇り、午後の予報は雨である。明後日5日にGold Coastに着く予定。
New castleは海辺の静かな街で人口は28万人も有している。この街の商店が並ぶ場所は海沿いとその道からさらに少し坂を登った小高い場所にある。
New castle駅の路線案内を見ると旅の初めに私達が訪れた鉱山の町やその他、内陸に向け四方に延びている。資源のあつまる所に人が流れてくるのである。私達はCube3を海が望める丘の道路に停めた。そこは既に、数台の車が停まっていた。少し風があったが海には多くのサーファーが期待する波を待ちながら、ボードに座っている姿が見えた。私は、潮風を体に受け、暖かいコーヒーを飲みながら、しばらくのんびりした時間を過ごした。私達の頭の上をカモメが羽の中に目いっぱい風をため込み、ゆっくり空を飛んでいた。私達は遠くの岬へ向かい歩く人の姿が見えたので行ってみることにした。入江の近くの駐車場にCube3を停める。
入江にそって先端を目指し20分程歩いた。道の端にある砂地の中には所々埋もれたレールがむき出している。
昔、この入江が浅い頃、内陸から運ばれた資源を機関車が岬の先端まで運んだ様子がうかがえる。入江を深くした後は、大型貨物船が通行できるようになった以降はレールが不要になってしまったのだ。
街は外洋のTasman Seaから長い入江を進すみ一番奥になっている。今日も、この入江から大きな貨物船が街に向う光景を見る事が出来た。入江の幅は目測で30~40m程と思われる。19世紀初めのころより内陸から運ばれてきた資源の重要な輸送拠点だったのである。その様な理由でNSWの中では2番目に大きな街なったのだろう。
この岬を見降ろす、高台に「Fort Scratchley」悪魔の要塞と言われる施設があったので訪れると、そこは第2次世界大戦の時、日本軍の潜水艦からこの町を守るために造られたのだ。きっと、資源の運送基地を攻撃するために日本軍が攻めてきたのかもしれない。
14時過ぎにNewcastleを出発しWillow tree までのNaviを設定する。Singletone⇒Muswellbrook⇒Scone⇒Murrurundiへと移動する。これらの町は旅の初めの時,The Blue Mountainsへ向かう時に訪れた。ここだけが行き帰り重複するルートになった。私達はMurrurundiにあったCaravan Parkに宿泊する為、Bondを支払ったが何と冷蔵庫もなく、シャワーもあまりきれいでない為、Bondを返金してもらい直ぐに立ち去ることにした。
しばらく(40km程)Cube3を走らせると小さな町にさしかかった。幸子の意見で今夜の宿泊は、この街のHotelにする事に決めた。いくつかのHotelのうちHeritage Hotelの名前が目に張った。私は名前が気に入った為、Cube3をHotelの前に停め、中に入るとこのHotelの昔の写真が壁に掛けられていた。まさしく西部劇にでてくるHotelであった。現在は、当時とは異なるが、親切そうな旦那さんが出てくると2bedsで$79と言うので、部屋を見せてもらった。私は直ぐに$70と言うと彼は上目づかいに親指を立てた。
今日のCube 3の走行距離は277’0km


Cube3で走るオーストラリアの旅2012   忙しい街 Sydney

2012年09月04日 | 旅行
Cube3で走るオーストラリアの旅2012   忙しい街 Sydney

3月2日(金)
Sydneyへ向かう。市内に近づいてくるとHwyも渋滞し到着までに時間を要した。
初めてSydneyの市内を運転したが、車の量は新宿、渋谷と同じように道路を埋め尽くしていた。おまけに一方通行道路が多く、横殴りの雨の中、私達にとって非常に疲れる運転であった。また、Naviが高い建物の影響で正しく表示されない場所も有り、目的地を探したが見つけ出す事が出来ない所もあった。
私達は昼食をとる為、Opera Houseの駐車場を利用することにした。
驚いたことに駐車料金は1時間当たり$9(800円~900円)は、ちょっと驚いた値付けであった。そして、Harbour Bridgeに面したFoods courtで食事を取る予定であったがOprra Houseでの公演が終わったばかりであたりは人だまりが多く出来き、寿司バーは、日本人の板前一人が慌ただしくにぎりを作っていた。私達は、こんな騒がしい所で食事をするのは気に入らない、またおそらく値段も相当高そうだった。そんな理由でSydneyに滞在することは止めて早々市内を出ることにした。
Sydneyから150 km先のNew Castleに向けCue3を進めた。TasmaniaからMelbourne
へ戻り、以降4日間は毎日、雨が続いている、旅行を始めた頃の天候とは正反対である。
2時間程するとHwy沿いにモーテルのサインが見えた。その地域はSwansea、今日の宿泊は、そのモーテルすることにした。受付の男性は私達を見て日本人だとわかると「こんにちは」と日本語で語りかけた。New castleまで30分程の地域である。
今日のCube 3の走行距離は305’0km
今日のあとがき
今回の旅行で初めて交通違反を犯した。それは、旅行を終え帰宅して2週間後に郵便が届き、初めて違反を知った。違反を犯した場所が記されていたのでGoogle Mapで探してみると、その場所の記憶がよみがえって来た。違反の原因は、停車違反。私達はSydney市内から20分程ドライブするとNaviは目指すHotelに到着したと案内したのでCube3を路肩に止め、運転席からフロントガラス越しにあたりを見上げ予約したホテルを探している時であった。そのサインを見つける為に、ほんの1分、長くても2分はかかっていないと思う。確かに私が停車した場所は、2台ほど停車できるスペースがあったが、そこが違反エリアだったのだ。しかし、そのスペースの前後はすでに10台程の車がすでに駐車していた。Google Mapを見ると、確かにそのスペースの傍に高さ3m程のポールの先端に「停車違反」の小さなプレートが見えた。罰則金は$210(2万円程度)。違反切符に書かれた電話番号にダイヤルすると出てきた女性の係員は「1秒でも停車したら違反です」と問答無用でした。であるならば路面に表記する等、ドライバーにもっと分かりやすく表示しろ。たった1分程の出来事でした。End

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012  Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra Ⅱ

2012年09月03日 | 旅行
Cube3で走るオーストラリアの旅2012 
 Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra
Australian War Memorialを見学する。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra

2012年09月03日 | 旅行
Cube3で走るオーストラリアの旅2012 
 Vancouverと似て緑に包まれた静かな街 Canberra

3月1日(木)初めてのCanberraの朝は、昨夜からの降り続く雨が私を寒く感じさせてくれる。
幸子さんは今日も私より前にシャワーをすませており、私がシャワーを済ませると同時に、今まできていた服を一緒に洗うと言っていた。たっぷりと暖かいシャワーを浴びた後、私は毛布や服を洗濯機の中に入れコインを投入した。その間に私達は食事を済ませ10時前にはCaravan Parkを出発した。
市内の小高い山は、Black Mountainと呼ばれ、晴れていれば市内全域をを見渡す事が出来るが今日の様なガスが発生し、雨が降っている時は、この施設も閉鎖されており私達が駐車場に入ろうとした時に、係員から「No」のサインが出された。しかたなく、少し時間が早かったがParliament Houseへ向かった。
オーストラリアの議会はいつでも定数の見学者を受け入れているようである。Houseの受付で見学の方法を尋ねると、案内されたカウンターにはすでに数十人列を作って手続きを待っていた。
私は名前とinfoでもらった予約Noを伝えると、係官は登録されていない為、反対側にある当日受付入口に私たちを並ぶように指示した。当日受け付けは、予約者で満席であれば見学する事は出来なかったが幸いにも入室する事が出来た。列を作った人のほとんどが市民以外の人かと思われた。
テレビで見る光景と同じように議場には首相のGillardさんや見なれた野党代表のAbbottさんがおり
いつもの調子で議論がはじまりだした。所々、話の内容は理解できるが私達にとってその理解する事よりいつでもオープンにされている議会の雰囲気を感じる事の方がより大切であった。1時間半程議論を聞いていたが以外にその時間は早く感じられた。その事より、Parliament Houseの駐車場はいつでもfreeである。気軽にHouseを訪れる事が出来るなんて日本の状況とはずいぶん違うと思った。
政治がすごく身近に感じられた。Houseの外に出ると西にある1900メートル程の山の頂は雲に隠れ、広大な自然の中にAustralia Parliament Houseは建っている。
 今日は1日中雨の為、Museumの見学をする。私達はその後、Australian War Memorialを訪れた。
大変立派な建物に多くの貴重な品物が展示されていた。AustraliaとNew Zealandは第一次世界大戦の時、同じ軍事組織として編成された。独立後、間もない時に有事の時は合同で参戦していた。現在もその精神は引き継がれANZAC( Australian and New Zealand Army Corps)Dayとして今も4月25日は、祝日であり全国で多くの記念行事が開催され、Gold Coastでもマーチを演奏しながら市内を行進する人々であふれている。
又、第2次世界大戦における日本と戦争、捕虜の待遇、ビルマ戦線での橋の建設等ジオラマで分かりやすく説明されているコーナーもあった。私達が訪れた時、20人ほどの小学生たちが2グループに分かれ係員から説明を受けていた。中には手をあげ質問している子供も多かった。かといって事実を客観的に伝えるものであり、子供たちにNationalismや反日の感情を起こさせるものではないと彼らを見て感じた。日本ではこのような歴史教育をきちんと伝えているのか、そちらの方が気にかかってしまう。
16時を過ぎ、Cube3は次の目的地のSydneyを目指す。私達はその道沿いにある適当なCaravan Parkを見つけようと考えていた。Hwyに入ると雨あしがだんだん強くなりガスも出てきた。空はすでに暗くなり運転するにはコンディションはますます悪くなってきた。隣の車線を大型トラックが通り過ぎると一瞬フロントガラスは水しぶきで前が見えなくなってしまう。今夜は宿泊場所を探す事はおそらく難しいと思った。するとHwyの端に特大Macの看板が見えた。私達は今夜80km先のMacで休むことが事故を起こさない一番の方法だと決め、安全に気をつけながらCube3を進めた。
今日のCube 3の走行距離は204’3km